Episode6

 

 冷気に包まれた少女は、ただ一時の眠りについているだけのように見えた。脱色ではなく自然のままに色素の抜け落ちた白髪、それと同色の肌、淡い紫の唇。
 ──”彼”が何か声をかけてやれば、眠たげに眼をこすりながら何事もなく目を覚ましてくれそうなほど穏やかな表情が貼り付いたままになっている。
「夜明けと共に、北部へ転戦することになった」
「──残存部隊は? このまま置き去りにするつもりじゃないだろ」
「昨夜の戦闘で欠損した人員補填のために、東部国境から三個師団が戻る手はずになっている」

 ──時間稼ぎになれば、まだいい方か。

 声には出さなかったが、こちらの意図を正確に感じ取ったらしく、
「総司令部から通達があったんだ。途中、首都の外人特殊部隊が原隊と合流してこちらへ向かってくるらしい。今後の指揮権は、そいつらに一任される」
「お前が直々に談判したのか」
「……ああ。仕方なかった。南部はじきに陥落するだろう。
 ────皆、死にすぎた」
 すぐ隣に佇む青年は薄い笑みを口許に浮かべると、眼を閉じたままの少女に手を伸ばし割れ物でも扱うかのような手つきで静かに、ゆっくりと彼女の髪を撫で始めた。
 とても優しく、愛しそうに──。
 そうしていれば、もしかしたら彼女が、自分の手を握り返してくれるのではないかとでもいうように。
「…………」
 別にそんな事務的なことを伝えたいがために、ここへ来た訳ではないだろうと思いながら彼の挙動を視界の隅に捉えつつ凍てついた空気が支配する世界を改めて一瞥する。
 最奥部に設えられた眼前の冷凍機関の他に、側壁に沿うようにして並べられた同じモデルの量産型装置が若干耳障りな音を鳴らしながら稼動し続けている。一通り室内を見回してから最後に、彼の横顔を流し目で見やる。その視線を受けて青年はわずかに頷き、少女の髪を梳き終えてから自身の骨ばった大きな手を戻した。
「──本当は、彼女の願いを聞き入れるつもりなんてなかった」
 ”彼女”というのは、おそらくこの少女のことではない。そのことについて彼から語られたことはこの半年間なかったが、それでも何となく分かっていた──だからあえて何も言うことはしない。
 この青年が体験したその出来事は、こういった時代にはどこにでも転がっているような、明け透けに言えば、どうしようもなくありきたりな話で、当然のこと。彼は彼で、こちらが以前からそのことについて悟っているのを理解している節があったので、今さら言葉を紡ごうとする気配は全く見せない。
 こいつはあの時から、この子に”それ”を見出してた……。
「半年前は、南部へ進駐する予定なんてなかった。そうしたいとも思わなかった。自分からわざわざ火薬庫に飛び込むマネなんてしたくなかったからな。だから、”彼女”の願いは叶えられない。仮に南部へ突っ込むことになっても、その時には手遅れだと割り切ってた。────なのに、」

 そうはならなかった。

 慨してそういうことが起こり得るからこそ、彼らにとって時代は残酷なまでに正常に機能する。
「毎日のように、俺の祖国へ行きたいと言ってた。砲声で夢が途切れず、腐臭で目を覚ますこともない、ケダモノに影を追われることもない──遠い、遠いどこかへ逃げたい、と。それだけをずっと願っていたこの子に、自分でもむかつくくらいの愛想笑いを浮かべながら、曖昧にするしかできなかった。…………日に日に白くなってゆく身体を抱いて、答えを先送りにし続けた末路が、これだ」
 胸に穿たれた黒い小さな点が、この少女が彼の手を握り返すことも、彼の艶やかな黒髪を撫でることも二度とできないという事実を顕示している。
 青年は堅く拳を握り締めた。掌に食い込んだ爪が皮膚を破って巻かれた包帯を朱に染め上げ、紅い雫となって滴り落ち足元にいくつもの斑点をつくる。だが、それとは対照的に、場違いなくらい澄み切った表情をしていた。ただ、その手からだけ、感情が溢れ出している。
「──それでいい。お前が今、こうしていることは間違っていない。自覚している限りは。でも、決して正当化されるものでもない」
「分かってる。本当は最初に──アンタがあの日、この子を助けた時から気付いていたはずなのに……いや、気付いてたから、なのかもな。彼女が消えて、妹を頼まれて──。はは、最低だな、俺。何も変わってないや。

 ……──でも、大丈夫」

 首にかけた認識票に手を伸ばしてそこに刻まれている名を一瞬だけみつめ、無造作に引き千切って少女の傍に添えた。
「俺の名は今、ここで死んだから」
「ん……。──じゃ」
 短く別れの言葉を告げ、踵を返す。
「帰るのか?」
「まあ、な。結局、今回も何もなかった。倫敦からすこし寄り道して戻るよ」
「──時々、アンタが羨ましくなる。いや、憎くなるよ。とても……」
「言われ飽きた」
「はは……──なあ、頼みがある」「それは断わる」

「終りを前提に望みを託す人間は、生き残れない。決して。最後まであがいてみせろよ、あの時みたいに。──そしたらさ、その時は全部任されてやる。……その子をこれ以上裏切るな。お前が愛した女を、これ以上傷つけるな。それから、お前自身も……」
 わずかな静謐。それから、誰にともなく、しかし独り言にも聞こえないよう彼は呟いた。











                        *


 なるべく近付きすぎないようにと意識していても、分かるものは分かってしまう。しかしながら、体裁上は前者のように振る舞わねばならないとしても、実際にそうしておかねばならないという道理はどこにも存在しない。
 それを抜きにするとしても、今回はコトがコトだ。
 ──動乱の闇に身を投じている者として、また自分という個人として、こういった内部の問題に不必要に関わりたくないという意志はあるにはある。──が、そうもいかない。
 探れるなら、どこまでも探っておくべきなのだ。本来ならば(それ相応の代償とリスクを覚悟しておくのが、多くの場合での前提条件でもあるが)。
 レイは、あの写真から二ヶ月前の一部始終を脳裏に思い浮かべていた。

 ──第二八解放区成立前夜、高原麻由美は最後の会合の為に北東区へと向かっていた。事前に情報市場へ流されていた情報は全てかわされ、強襲部隊は彼女の動向を完全に捉えていた。高原絢香の発言から鑑みても、それは事実だろう。
 ──最も深い闇の刻、作戦は実行された。高原麻由美を乗せた車は北東区幹線道路の何処かで襲撃を受け、すぐさま逃走に移行。臨時検問が行われていただろう殆どの区画入口を見過ごし、最寄りの解放区へ向かおうと考えたはずだ。だが、最も近場の解放区まではかなりの距離がある、そこで、下層都市部へ紛れ込み、”混乱”に乗じて逃亡を図ることにした。幹線道路を北東区の境界ギリギリまで走り、どれかの最終出口へ入った。そこが終着だった。強襲部隊が意図していた所定のコースに引きずり込まれた車体はそこで待ち伏せに合い──写真の通りの結末を迎えた。

 ──だが、高原麻由美は生存している。
 レイも実際に定例報告会でその姿を見た。彼女が生きているのは事実だ。
 報告によれば、墜落後炎上した車内に、何者かの死体は見当たらなかったという。高原麻由美はどうして、危難を逃れることができたのか。当初から、急襲を受けた車体が影武者であったかもしれないが、それは最も考えにくい。もしそうだとするなら、彼女のあの怪我の具合はどう説明づければよいのか。国家の中枢で暗躍する賢人達の提供した精鋭部隊が、易々と別の餌に引っかかるなどということはおそらく、ありえない。
 確実に、高原麻由美はあの車の中にいた。車体がスクラップになる直前まで。その時まではそこにいて、ふたを開けてみれば、文字通り何もなかった。
 つまり──落下の最中に、高原麻由美は姿を消したことになる。彼女自身には何の力もない。それは、最初に高原絢香から渡された資料が一応表面上は証明している。

 何者かが、高原麻由美を護った──そう考えねばなるまい。
 数時間前にみた高原麻由美があれほどの重傷を負っていたのだから、もしかするとその何者かは既に息絶えている可能性もある──、が、それは考慮にいれないでおく。
 自分が、そう感じているからだ。
 さて、一つの疑問がここで生まれたことになるぞ。

 ──何故、高原絢香はその存在を認識していないのか。
 強襲部隊による暗殺が失敗し、彼女がその役目を引き継いだ時彼女は作戦の詳細を求めた。ただ、ロクな答えはなかった──と先程廊下で聞き及んだ。
 ”神崎”という者が、自分達を推すまでも、その後もずいぶん周到に高原麻由美の周囲をかぎまわったらしい。だが、最終的な結果として満足のいく成果は何一つとして上がらなかった。
 程度のほどは測りかねるが、高原絢香も叔母の背後に何者かがいたことくらいは可能性の一つとして容易に想像がついていたはずだ。ところが、前任者達からは何も聞き出せない、調査では何も分からないで足止め状態だった。
 背後の存在などには遠く及ばなかったのだ。
 ビジネス上の打算的な考えも相まって、彼女はそれを実態のない可能性の一つとして心の内に封じておくことにしたのだろう。……安く見られたもんだ。

 賢人達は──強襲部隊は(彼女は詳細を誰に聞いたかまでは知らない)詳細を求められて答えなかったことの真相については知りようがない。その後のリスクを差し引いても、沈黙を続けてねばならなかった事情があったとも考えられるが……。
 これも漠然とだが、何かを背後に感じる。
 全く別の、遠く深いどこかに蠢く何かを──。
(それにあれは……)
 意識のどこかでひっかかっていたそれが何か考えを巡らしながら、レイは石柱の影から顔をのぞかせた。
「前回提唱された協定案についてだが──」
 仄暗い空間──吹き抜けの一階に、円卓を囲んで高原一族の上級幹部達が議論を交わしている。今、手元の資料を見下ろしつつ発言をしているのは高原麻由美側の代議人だ。
「エリア28の成立後、我々の監視を継続してきた公安勢力が他地区への介入を拡大させている。現在判明しているのは──エリア03の一八層南第二区及び南東第二四区、エリア07の地下三層ポイント250709、それからエリア25の八八層。推測でき得る限りの未確認エリアも含めると、およそ36箇所にのぼる。我々の側だけでだ」 「それは──近頃、如月旅団が見せている動きに関連しているのですか?」高原絢香側の、まだ若い風貌ながらも白髪の混じった男が応答し返す。
「それもあるだろう。そちらも承知しているだろうが、エリア28成立に伴い昨年晩期から如月旅団が推し進めてきた新興系民兵団を対象とした指揮系統の急激な統一化。直接的には、そちらへの牽制というところに落ち着いている。だが、我々としてもこの事態は見過ごしがたい。故に、我々とそちらによる一時的な情報協定の締結を支持したいものと思っているが、如何に?」
「その問題の対処法については同意します。ですが、下手な動きを見せれば互いの管理下エリアに新たなアシがつく可能性が高い。今は、まだすこし様子を見るべきではないでしょうか」
「しかし、これ以上の公安による管理下エリアの浸食は好ましくない。多少のリスクを背負ってでも、ここは早急に推進すべきであると、我々は心得ている」
 その強行な発言に若い高原絢香の代議士は眉を細める。他の幹部達も固い表情で口々に否定的な呟きをもらしている。
「──当主が擁護している賢人達を切り崩すことが出来れば、この問題はクリアできるはずだ。彼らは今だに自分達が最後の砦であると錯覚している。そうではないか?」
 その言葉は、代議者よりもそのすぐ隣、上座に腰を下ろしている高原絢香に直接向けられた。
「────」
 レイは位置的に彼女の真後ろにいるため表情は窺えないが、高原絢香はあの笑みを浮かべているのが分かる。そして、彼女は沈黙を通した。意図を汲み取り、代議者がその静謐に割って入る。
「その問題に関しては、我々に一任されているはずです」
 なんとなく横柄な態度で言葉を紡いでいた初老の代議者は二回りほども若い男に強く出られて意表を突かれたのか、軽く肩をすくめてから自分の席に腰を下ろした。
「時間です。一旦休憩を入れましょう。次の開始は、二時間後でお願いします。よろしいですね?」
 老練の代議者を退かせた若者は腕時計で確認してから協議再開時刻の旨を伝えた。やがて誰からともなく幹部達は席を立ち始め、議事堂から去っていく。
 結局、両者の代表同士が口を開くことは一度もなかった。高原絢香は、必要以上でなくても何かを言って、相手を刺激するような真似は避けたいという意向だったようだ。どの道、この後で全てが終わるのを、彼女は理解しているからなのだろう。
 指定の時刻はこの後──。
 不足の事態も織り込み済み。予定の変更はない。
(……?────)
 全員が去ったところで高原絢香のもとへ向かおうと思っていたが、彼女はいまだ上座に腰掛けたままだった。その真正面、向かいにあるもう一つの上座に人影がある。

 高原麻由美──

 二人は互いを真直ぐに見据えているようだ。手元の投射型ディスプレイから溢れる薄蒼色の光が、半分方眼帯に覆われた彼女の顔を淡く照らし出している。
「十三年──。よくここまで走り続けて来たわね……」
 眼帯の位置のずれを直すかのような仕草を見せながら、高原麻由美は静かに口を開いた。
「それは貴女もです、叔母上。私は、我々はようやくここまでやってくることができました。あとすこしで、我々の悲願は成就します」
 眼帯に触れていた高原麻由美の左手の動きが停止し、指の隙間からのぞく褐色の左眼に鋭利さを孕んだ意思が宿った。
「──本気でそう思っているのなら、貴女の”姉”として忠告するわ。暁闇の時が来るまでに……一族から去りなさい」
「なにをもってそのような戯言を……。叔母上、貴女はそうやって我々高原家を揺さ振ってきたのではないですか。あの時も、同じように母を死へと追いやった」
「────この国は、夜を旅しているのよ。何十年も、ずっと……。私たちはこの国の新たな指標となり、次の時代を迎える者達の足場を築かねばならない。私達の真の闘争は、まだ始まってすらいない。それを理解できないのなら、永久の停滞を望むのなら、貴女はこの世界に相応しくない」
「生前、母は言葉を遺そうとした──それを貴女は、」
「死者は口を噤む」姪の言葉を強引に遮る。「姉さんは、最後の最後でそれを護れなかった。一族の不文律に従えなかったのよ。けど、母は──祖母は忠実にそれを護り、舞台から去っていった。──姉さんだって、貴女が同じ道を歩んで欲しいとは思っていないはず」
 不自然に訪れた静寂。それから体内の秒針が約二周りほどして唐突に、
「──あの時、姉さんを殺したのは私じゃないわ」
「────……」
 高原絢香の気配が如実に語っている。”では、誰だというのか──”、と。

「──殺したのは、私」

 彼女は穏やかに笑むと席を立ち、脇に立てかけていた杖をつきながら仄闇に溶け込んでいった。

 ──────……、

 そうか──。

 なんで、あの頃の事を想いだすのかと思ったら──。

 あの後のことだった。







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