Episode4

 

 普段着慣れていないからとかそういう訳ではないと思いたいが、無意識の内に襟元へと伸びていた指に気付いてどうするかすこし迷ったあと、結局ポケットに戻した。
「こういう事だったのね」
 石造りのバルコニーの欄干に頬杖をつきながらグレーシェルが呆れ半分、感心半分といった口調で呟く。彼女はレイと同様のダークスーツを全く気にしたふうもなく自然に着こなし、おまけに付属品の黒眼鏡まできっちり着用していた。
「あんたは?」
 黒眼鏡をわずかにずらして茶褐色の瞳をのぞかせながら、心なしか意地の悪そうな笑みを浮かべて訊いてくる。
「いやだ。似合わないから」
 半ば冗談で応えると(実は結構本音に近かったりもするが)彼女は、「あ、そう」と適当に切り返してから視線を元の位置に固定しなおした。
「──結構な顔ぶれだな」
 既にほとんど全員が出揃った頃合いか、レイとグレーシェルが共に吹き抜けの二階席から見下ろす大講堂では、直系企業の代表者や大勢の来賓達がそれぞれ談話に華を咲かせている。
 これが、高原絢香の申し出た同伴の理由の一つと思っていいだろう。
 高原財閥を中核として構成された首都圏動乱の後援組織群による定例報告会。現在、動乱の様相は鎮静化とは遥かに縁遠いものであるにも関わらず、会合に参席している各企業代表と活動家達の割合が異常と言ってよいほど高い……。
「ここまで規模を維持してるとなると、全体でみたら相当なはずだ」
「<鞍馬>が動きを見せるようになれば、いよいよ左派も見過ごせなくなってくるかも」
   二ヶ月前の失態で標的の高原麻由美が勢力圏を拡大してから、クライアント一派は相当立場に窮しているという話だったはずだが──その割には、この場に参席している多くの左派系企業群の中に簡単に右派関係者の姿を見かけることができる。それほど両派に大差が生じているとは思いにくいな……。それに空間の雰囲気もどことなく緊張に欠けているような気がする。……まあ、双方とも上が今後とる行動によって自分達の道先もいくらか変わる程度にしか認識していないのだとしても、この問題に端を発しているのは長の一族内なのだから当然と言えば当然か。
 だが、今グレーシェルが名を出していた<鞍馬>──もしかするとこの先、如月旅団にとってかなり面倒な相手になってくるかもしれない。反体制組織としての総意分裂を防止するため水面下での交渉は以前から継続されているが、具体的な妥協案などは何一つ出ていない。現在でこそ、鞍馬を事実上の筆頭とする右派と旅団はある種の拮抗状態にあるものの、その均衡が崩れるようなことがあれば……と、レイは軽く巡らしていた思考をそこで遮断した。
「どうですか?」
 相変わらず眠たいような何ともいえない声に呼ばれて振り返ると、優雅な正装に身を包んだ高原絢香が椅子に腰掛けて葉巻の紫煙を燻らせていた。
「これが見返りの一つのようだが……ん、いいもの観させてもらった」
「それはよかった」クライアントは口許を歪めて満足気に笑んでみせ、テーブルに備え付けの箱から新たに葉巻を取り出して薦めてきたが、レイはそれをなるたけ丁重に断った。
「よくこれだけ集めたものね?」
 欄干に頬杖をつき彼女に背を向けたままの姿勢で、グレーシェルが問う。
「元を辿れば私達が本家ですから、こちら側に賛同してくれたものは当初から大勢いました。……とはいえ、今回は最高幹部協議会が後に控えているのでその為の布石に終始しそうですが」
「ふうん……」
「──時刻までは……まだしばらくあります。私も顔は見せておかねばなりませんので、それまでお願いします」
軽く眼を伏せ、了承の意を示す。彼女はそれだけでまた、顔にあの笑みを浮かべると席を立ち、踊り場で待機していた手勢のガードに囲われてバルコニー脇の階段を下りていった。
「さて、と……」
 グレーシェルに目配せしてからレイも席を離れ、高原絢香の去っていった階段とは反対側に設えられている非常用階段を使い冷気が足元に沈殿している通路からホールへ入った。人波を縫うように避けて中央まで移動し、護衛のゾーンから充分に距離を保った位置で彼女の動向を見守る。話に聞く限りではこの場で何が起こるとも思えないが、支障をきたさない範囲でとクライアント自身が警護を申し出てきた。こちらのことを以前に関わった仕事もあわせてよく調べている。……全く面白くない話だが。
 しかし、何らかの問題が起こりえたとしてもよほどの事でなければ、彼らで充分対処可能だろう。
「いいガードじゃない?」
「無駄の嫌いなお嬢さんみたいだ」
 彼女を取り囲んでいるガード達の一挙手一投足にそれとなく注視していると、時折何の前触れもなく明後日の方向に視線を投げたりしているのが確認できる。……常人には感じ取れないそれに気付いている。
「…………──いた」
 視線は各々の方向へ向けたまま、グレーシェルがこちらに聞こえる程度の声で小さく言った。同時に彼女の気配が静かに薄れていくのを感じる。
「深追いするなよ」
「分かってる。あと、お願いね」
「うん」


                        *


  似たような背格好の二人の男はホールを抜け出た後、人目を避けるようにして足早に角を曲がっていった。周囲に第三者の存在がないか確認してから、同じく一番手前の角を折れて既に中庭脇の回廊に差しかかろうとしている背中を追う。
 前日の去り際、クライアントはこちらが危惧しているリスクを「排除した」と言っていた。それが真実なのか性質の悪い冗談なのか、それともまた別の意図があるのかどうかまでは分からなかったが、いずれにしろ自分もレイもそれを間に受けてなどいなかった。
 右派民兵団は旅団と比較して政界勢力の後援基盤が純粋な意味で堅い。言葉ほど単純ではないものの、動乱の治安回復に躍起になっている体制側勢力としても入り込みやすいのは必然的にそちらということになる。今まで多くの要人を輩出し中枢にまで食い込んでいる高原財閥もその対象外ではない。
 今回の件、そういう可能性を充分に予測していた。だから、はじめから待っていた。あの二人が体制側の関係者であるという具体的な確証がある訳ではないが、強いて言うなら片割れの──こっちからみて右側の男がなんとなくそういう雰囲気をしているのをホールで感じた。何の用でここに出向いてきているのか、自分達に無関係なら正直それはそれで構わないが実際そんな上手い話はあるはずがない。なら──。
 右側のあの男が回廊の半ほど、月明かりによって伸びる石柱の陰に一歩足を踏み込んだところで唐突に立ち止まった。もう一人が首を傾げる仕草をみせてから二言三言何か呟くと、そいつは軽くかぶりを振って再び同じ歩調で歩き始める。
 レイの傍を離れる瞬間から気配を断っておいて正しかった。
(感のいい男……)
 二人を見失わないよう視界に入れつつ反対側の回廊へ入り、屋内側を浸食している闇の中へと身を溶け込ませる。そのまま影伝いに別棟に繋がる通路まで先回りすると、そこから跳躍した。
(ここなら、大丈夫でしょ)
 背中越しに近づいてくる足音から、回廊を警戒しつつ歩く二人の姿を容易に思い浮かべることができる。やがて足音が途絶え、かわって、ぎい、と木製のベンチがきしむ音。
「──あってる、よな?」
「さあ、どうだかね。アンタの方こそ、どうなんだ?」
 はじめにそんなやり取りが聞こえた。
「答えは──、」
「それはアンタが問うべきものじゃないはずだが」
「邪険にするなよ。君の置かれた状況については大体把握している。それに、俺達も全く無関係っていう訳でもないんだ。だから、聞かせてもらいたい」
「……先日の件、アンタも関わってたのか?」
「先日の……。ああ、彼らのことか。そういえば君は脱出できたんだったな。リストに載っていなかった。どうなったか気になるか?」着火器具の点火音。わずかな沈黙の後、「──即刻射殺。指揮官格の女が一人生存ていたらしいが、半日後に死亡。無駄骨っていうのは、まさにああいうのを言うんだろうな。俺はそれに関わっていない。──ただ、観ていただけだ」
「……身内なんじゃないのか」
「んー……、半々、といったところだな。はじめは監視に留めておくつもりだったんだが、最近上がごたついててね……と、今のは聞かなかったことにしとけ」
「それで、何故俺にコンタクトを?」
 出し抜けに、はは、と乾いた笑い声が響く。
「冗談が上手いんだな、君は」
「──結局、アンタもあいつらと何も変わらない」
「手段に関しては、至極良心的なものだと心得ているが。……まあ、それもあくまで飾りに過ぎんのは当然といえば当然だな。だが、君も君で随分と奇特な人間のように思えるぞ」
「…………」
「姿を暗ましていたこの二ヶ月間、本当はその気になれば旅団と高原家をかわしていつでも公表できたはずだ。君が今の状況に追い込まれたのは、ただその機を逸してしまった末の結果に過ぎない。何故、そうしなかったんだ? そうできなくなった理由でもあったのか──?」
「……投げ込んでみてようやく気付いたり、その先で初めて思い知ったりする事って、あるよな」
「? 分かりやすい説明を要求する」
「……──世迷い言だ。……アレは、アンタには渡せない」
「あまり利口じゃないな。後ろ盾をすべて失いながらここまでこれたことは認めるけど。──もう、終りなんだよ」
「俺は──、」その言葉を遮るように、「火遊びが過ぎた。二ヶ月前、あの男と遭った時点で放棄すべきだったんだ。そうすれば、何事もなく動乱の渦中から去ることだってできただろうに」
「…………」
「実を言うとだな、今件に関して公安──俺の課は既に手を引いてる。明朝まで待つ、俺も潮時だ。結局、接触するヒマもなかったな……」
 静寂。──やはり公安か。片割れの方はどうやらそうでないようだが。
 接点にはいまだ不明な要素が多分に混じっているものの、会話の断片からして無縁という気は全くしない。仮にも非公式に行われているはずの定例報告会に食い込んできているこの二人──。
(…………)
 陰に身を潜めて気配もはじめから断っていたはずだが、冷気の染み出す壁越しに何かを感じた。そのまま一時が経過し、
「……なんだよ?」
「いや……。俺も、有休とろうかな。──最後になったけど、今流すなら人一人くらい匿える余裕はある」
 ざ、と踵を返し遠ざかっていく足音。
「…………待ってくれ」
「ん、気が変わったか?」
「阿呆。────あの男、三年前までは日本にいなかった。奴は──、」
「これ以上首を突っ込めば、火遊び程度では済まんぞ」
 それが、会話の最後だった。
 即座に回廊へ降り、すぐにその場から離れた。


                        *


 次々と表情を切り替えながら一切途切れることなく、よくあそこまで会話を続けられるものだなとすこし思う。まるで磁石に引き寄せられる砂鉄のように寄ってくる参席者達と言葉を交わしている高原絢香の横顔をレンズ越しに見やりつつ、レイは胸中で浅く吐息した。今の彼女の顔は全て社交用の微笑をまじえただけの作り物でその豊富なレパートリーの中に先程や昨夜の会合で見せた、研ぎ澄ました爪を隠す猫のような笑みを湛えた貌は一切見当たらない。そうできて当然の立場だが、隠すのが特別に上手い女だとは認識できる。
(もう時間だな……)
 豪奢な装飾の掛け時計で時刻を確認し、もたれていた壁から離れると同時に聞きなれた声が背中にかけられた。
「ただいま──て、何それ?」
「うん? ああ、人避け」
 その言葉を聞いて改めて、何それ?というような表情をつくって意思表示をするグレーシェル。そこら辺のガードと同じスーツを着ていながら何故か、周囲の人間に立て続けに話しを持ちかけられたので人払いのために結局黒眼鏡をかけざるをえなかった……という程度でしかないのだが、何だかそれをわざわざ補足するのも面倒なので後は彼女の想像に任せておくことにした。まあ、そんな瑣末な疑問に考えを巡らして無駄に時間を割くほどグレーシェルはヒマな性格ではないだろうけど。
「どうだった?」
「あまりおもしろくないわね。たぶん彼女──、」

 ざわ──

 ホールの正門扉辺りで生まれたざわめきがあっという間に伝播して、二人のいる奥の壁際にまでやってきた。
「?」
 辺りに視線を走らせてから隣で同じ動作をとっていたグレーシェルと確認を取り、壁際から離れると早めの歩調でクライアントの傍(ガードの外側までだが)へ移動する。
 高原絢香の意識も、入口付近に注がれていた。
「誰かしら?」
「……来たみたいだ」
 人垣のわずかな隙間からのぞく開かれた状態の正面扉──そこに執事を伴って現れた一人の女性。様々な意味合いの込められた視線を一身に受けながら、しかし全く動じることなく潮のように身を引いていく人々が作る道を、若干傾いた足取りで歩んでくる。
「重傷だな……」
 誰に言うともなく、レイは見たままの印象を口に出した。
 受け取った資料の中に載っていた写真の人物と同一とみて間違いないが、さて──。
「あれが?」
 表情にこそ出していないがグレーシェルも不審に思う口調で、しかし周りに聞こえないよう呟いた。
 あれが、高原麻由美──。
 仕立てのよいダークスーツを身に纏いながらも、一瞬見ただけで分かるように彼女は傷だらけのようだった。首から吊り下げられた右腕、真白い肌との差異が際立つ暗色の眼帯が覆い被さっている右眼。それに加えて不自由そうに引きずっている感のある右足。
 半身にひどい怪我を──?
「──でも、あの眸」
「ああ」
 見る者の心を痛めつける姿形と裏腹に、鋭利な意志を孕ませた褐色の左眸は真正面の人物を真直ぐに捉えている。
「グレーシェル、あれ」
「なに? ……へえ」
 ガードに護られて彼女を迎え待つ格好になった高原絢香の表情は堅く──というより、驚愕の色に彩られて歪んでいた。

 まるで、ありえない──とでも言いたげな貌だった。

「…………」







《 ----Top / Episode3 / Episode5---- 》

Copyright© 2007-2012 hiragiya All Rights Reserved.