Episode3

 

 夜をはねのけ、街が蠢く。
 昨日見かけたあの集団は、今にして思えば今夜これから起こることの前兆のようなものだったのかもしれない。
 摩天楼を繋ぐ最小限の光源しか灯されていない回廊からレイは所定時刻を待ちつつ眼下の光景を何をみるともなしに眺めていた。
 多種雑多ながらもその用途に関してはほとんど差異のない凶器を携え、先方の扇動工作に煽られて通りを北へと闊歩し続ける群集。刺すように鋭く、冷たい風が地上に溢れかえる彼らの咆哮を乗せてビルの壁沿いに吹き上げ、煌く照明によって明々と照らされた曇天の中へ吸い込まれていく。
 どうやら旅団とは、今夜は直接関係ないようだが。
 欄干に吸殻を押し付けながら、視線を交差点に面した街頭の大時計に移すと秒針が予定の時刻まで秒読み段階に入っていた。
「冷えるな……」
「また降りそうね」
 若干間をあけて隣に佇むグレーシェルは鮮血を被ったように紅い長髪を流れる風のままに靡かせながら、新しく引き抜いた煙草に火を灯す。
 何の感慨もなく、あらゆる意味で既に惰性を通り越したような域の行為であるにも関らず──いや或いはそうだからなのか、彼女のその一連の動作と佇まいはある種の一つの芸術として完結するものがあるように思う。
 グレーシェルとの腐れ縁も地の果てを通り越して現在どこら辺を突っ走っているのか最早判断がつかなくなっているレイは、その姿を見て時折何か落ち着かないような微妙な感情が生まれることがあるのを自覚していた。
「さて、と……」
 所定時刻を秒針が指すのと同時、自分達が来た回廊の入口とは反対側の方に気配を感じて振り向く。
「──待たせましたか?」
 闇の奥から届く声。
 声の主の隣から、長身の人影が染み出すように現れた。足元を照らす淡い躑躅色の照明が彼の素顔を浮かび上がらせる。
「ついて来てくれ」
 夜と同じ暗色の外套を着こなした姿のアレクセイは、普段はほとんどと言っていいほど見ることのない表情で無感情に短く言い、すぐに歩を戻して闇の中に姿を消した。
 特に意味はないが軽く息を吐いてからグレーシェルのほうを振り向くと、彼女は調子を合わせるでもなく深く吸い込んだ紫煙を十分な時間をかけて流れ続ける風に溶け込ませ、それからレイの双眸を見つめて浅く頷いた。


「お嬢さん、ね……」
「間違っちゃいないだろ」
 左向かいに腰を下ろしているアレクセイは視線を合わせることもなく平然と言い放ち、外套の内ポケットからあの特有の匂いのする香り煙草を取り出してくわえた。
 案内されたのは、無届出の街頭武装デモが敢行されていたエリアから数区画離れた高原家の所有する──正確にはクライアントを筆頭とする一派の──アップタウン一等地のオフィスビル、その中層ほどに設えられている割と落ち着いた造りの客間だった。正面の空席の背面、全面ガラス貼りの窓からは極度に密集して林立する濃灰色のビル群とその奥に昼夜問わず稼動し続けているセントラル(中央統合駅)の豆粒化した姿を望むことができる。たしかに、ここなら暴動の煽りを受けることも、また他の危険を冒す心配もない……少なくとも、彼女にとっては。アレクセイの方はどうだろう。気取られないよう視線をずらして表情を見てみたが、表面上はまだ何も変化はなく無言で紫煙を吹かしていた。彼が重きを置いている立場を鑑みれば、今回の件自体が彼自身の法に触れているのは間違いないはずだが──まあ、アレクセイが何故重過ぎるリスクを背負ってまで関ることにしたのかは、あまり興味のない話だ。
 ──だが、そこにまつわる何かが自分達と無関係とは一概には言えない為、しばし様子を見てみることにする。
 途中で視線を外し自前の煙草に火を点けていると、真向かいの空席だったソファに何者かが腰を下ろす気配がしてその方を見やった。
 視界に映る彼女の容姿を直接見るのは今がはじめだが、先刻回廊で聞いた声から大体察していた通りの雰囲気を湛えた女だった。肩ほどで短く切り揃えられた明るい亜麻色の髪。それと同色の切れ長で若干眠たげというか何というか、爪を隠している猫のような印象を受ける瞳。お嬢さん、と認識するには少々無理のある容貌ではあるが……一族内における彼女の身分的には違いない。しかし、実際の彼女はそれほど生ぬるい立ち回りを演じている訳ではあるまい。
「ご存知でしょうが、内部で少々問題がありまして」
 点数をつけるなら限りなく満点に近い丁寧さの口調だが、その陰に暗いものが蠢いているのは意識せずとも感じ取れる。彼女の立場のことを考えれば当然か。
「”いつ頃からそうなったのか”聞きたいんだけど、高原……絢香?」
 その言葉を受けて彼女は穏やかに笑む。危ない微笑み方だ。グレーシェルも同じ印象を受けたのか、腕を組んで静かに話に聞き入る体勢を保ちながらも伏し目気味に高原絢香の表情を窺っていたが、すぐに興味が失せたのか視線を煙草の先端に戻した。
「二ヶ月ほど前、になりますね」
「二月……北東区問題と重なっているな」
「ええ。エリア28の成立以来、叔母方の一派が影響力を強めています」
 二ヶ月前と言えば、丁度北東区問題が活性化した頃だ。その前後に高原家も一枚噛んでいたか……そういえばそんな話は聞いていない。だが、あっても充分におかしくない話ではある。第二八解放区成立前夜の出来事は不透明な箇所が多すぎて如月旅団は、当事者でなかった多くの活動家から不評を買ったが、結局当時の詳細が外部へ流れることはなかった。おそらく、高原一派の意向が絡んでいたのだろう。そこだ。今回の問題はそこに端を発している。
「その前後に何が?」
「──単純です。当時叔母が合議を通さず独断で、旅団直系部隊への物資供与を計画。我々を出し抜いてそれは実行され、後日にはエリア28が成立。それからというもの、旅団の信頼を多く得た叔母はそれを寵とし族内での影響力を増大させている……」
 本当に簡単だな。二ヶ月前現状打開のために先手を打たれた彼女が後手に回ってしまった結果、現在一族内での立場の進退を迫られている……たしかに納得できないことはない、が──。
 動乱が勃発するよりはるか以前、三十年前の計画の波に乗って勃興し高度民間警備サービスなどを主業務としながら急速な発展を遂げてきた高原家を長とする企業連──現在に至ってはその実体は最早軍事全般を主として扱う軍事企業グループであり、首都圏動乱における反体制組織の有力な後ろ盾の一つとして認識されている。
 ただ、動乱誘発の遠因ともなったあの中東騒乱の黎明期に一族内で派閥間抗争が顕在化したのを境に、現当主が長らく伏せっている近年では二分化した勢力が水面下で本家の統一権を奪い合っているらしい──……というのは、並の活動家なら誰でも知っている高原財閥に関する公然の機密だ。
 で、今眼前で文字通り猫を被ったような妖しい笑みを浮かべているクライアントが、その片割れ──右派民兵団に与し対抗勢力の如月旅団を敵性因子とみなしている一派の首魁。
「高原絢香、貴女はこれ以上叔母の一族内における増長を望んでいない」
「そうです」クライアントはほんの少しの間だけ目を伏せた後、例によってあの笑みを口許に浮かべ、
「彼女を──高原麻由美を、動乱の舞台から引きずり下ろしてもらいたい」
 如月旅団を筆頭とする左派系民兵団の思想に共鳴し、多大な資金と武器・人員を供与し続ける、高原絢香の一派と相対する勢力の先鋒、高原麻由美。
 クライアントの望むそれは、あらゆる状況を瞬時に打開することのできる文字通りで最後に残された手法。彼女がそれを決するまで他の実行できうる限りの手段をすべて試してきたかどうかは知らないが、それはどうでもいい。
 高原絢香がその言葉を放った瞬間、この場の空気は変わった。正確には向かって左側の席に座り今の今まで静観を決め込んだかのように沈黙を守っていた男の周囲の。この場にいる誰もがそれを感じなかったはずはないが誰一人として視線をそちらへ向けることはなく、また当の彼自身も雰囲気以外は変化を見せることなく吸殻をテーブルの灰皿にねじりつけ、もう一本香り煙草をくわえた。
 アレクセイは、高原財閥に関する二ヶ月前のこの事を知っていたのか…………いやそれはないな。レイは胸中でその可能性を即座に否定した。
 昨日の言動からその辺のことについては少なくとも全ては知らなかったようだが……その割には随分と大人しい。やはり、これから背負うリスクの見返りの中に、それに関係している要素が含まれているのだろう。と、その事については関知しないと決めておいた通り。
 レイもまた短くなった吸殻を捨てて、懐から煙草を取り出す。それよりも引っかかることがある。
「────、一つ、」
「何でしょうか」応えられる範囲なら、というニュアンスを言外に含ませて。
「右派にも遂行可能な者は大勢いるはずだ。そうでなくても、高原家 は──貴女の一派は執行機関の一角を担う私兵部隊を所有している。なのにわざわざ、対抗勢力傘下の活動家を介してまで俺達と接触する意味はあったのか……」アレクセイがちら、とこちらに視線をよこしたがそれは見なかったことにしておく。
 自分達にとってはそちらの方が後々重要な意味を持つようになってくるかもしれない。事前に一部聞き及んだ話によると、今件の実行者については当初から自分とグレーシェルが指名されていたそうだ。たしかに、今まで右派民兵団と接点を持った経歴はあるにせよ(近頃は左派に加担していたものの腰を据えたつもりはないが)、それだけで何故高原財閥がリスクを冒す必要があったのか。
「貴方達が、その手の専門だと聞き及んだものですから────と、失礼?」
 語尾を間延びさせてなぜ急に謝罪の意を示したのかと思ったら、グレーシェルが先程とほとんど同じ姿勢のまま、相変わらず伏し目気味ながらもそういった言葉を引き出させるに充分な意図を孕ませた視線を彼女に向けていた。
「勘違いはしないでほしいものね……?」
「失礼」と、再度言い直す。「以前、貴方達二人が一族の仕事を請け負った記録がありました。それを参考程度に……」
「俺達が?────……ああ、」「あれね……」視線を合わせて同調する。
 すっかり忘れてた。というか憶えておく必要さえもないだろうな普通そんな以前のことは。
 どれくらいくらい前かそれさえももうはっきりと覚えていないが、当時その依頼をこなしていた時には直接的に高原家が関っていたということは全くなくて、後日になってからその事実を聞いた程度でしかなったような気がする。
 だから、『その手の……』という訳か──?
「納得してもらえましたか?」
「…………」そんな訳ないだろう──とは言わず、出かかった言葉を胸のうちに留めておく。虚偽ではないだろうが、それが本命ではない。だが、これ以上の深入りは無用と判断してそれ以上の言及はしないことにした。まだ機会は別にある。
「最近、左派に傾倒している大企業連の動きが活発化しているという話も聞きますので、私としては一刻も早く手を打ちたいのです」と、蛇足を付け加えてきた。
 最後に反応を見ようとしたというところか。結局、それについては誰も口を開かなかった。
 アレクセイもグレーシェルも視線をそれぞれの方へ向けていたので自分が目線で先を促すと彼女はその意図を正確に読み取り、手元のファイルを滑らせた。中は確認せず無言で手に取り、速やかに席を立つ。
「今更ですが、今件の余波は甚大なものとなるでしょう。恐らく、私達を取り囲む状況が一変するはず。貴方がたの危惧している可能性は既に排除してありますが、
 ──くれぐれもお願いいたします」
 最後の言葉は、香り煙草の箱を懐にしまって腰を上げようとしている男に言ってやった方がいいと思うが。それにはじめに反応したのは、まさにその男だった。
「……如何に自分達の意志で動いていると言えど、この件お前らにも必ず煽りが来るだろう。昨日も言ったとおりだが、俺は賛成しかねる。──戻れないぞ」
 グレーシェルが灰皿に吸殻を押し付けながらくすり、と笑む。
 ドアへ向かいつつレイは、
「戻る道なんて、とうの昔に失ってるよ」


「何かあるでしょうね」
「たぶん」
 エレベーターの階数掲示板の表示が自分達のいる階層にまで上がってくるのを待ちつつ、互いに感じていた違和感を確認しあう。
「レイ」
 声のした方へ意識のみを向ける。
 若干距離のあいたところから届く、極力感情を抑えた問い。
「何故、選んだんだ?」
 軽やかな電子音が階層掲示板の点滅とほぼ同時に廊下に鳴り響く。
 彼が、エレベーターに乗り込んでくることはなかった。
 ただ、眼前の硝子に映りこむ廊下の照明の下で佇んでいるだけだった。







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