Epilogue

 

 変わり映えのない縦棒型の墓標の列の間を歩きながら、煙草に火を点した。グレーシェルは門の傍で待ってくれている。
 三日後、都市郊外部の起伏の少ない山腹部に設けられた広大な名誉霊園を、レイは訪れた。空気は相変わらず冷えているが、最近には珍しく今日は空に晴天が広がっている。
 ここの名誉霊園は複数の民間軍事企業体によって管理、運営されている戦死者を埋葬している墓地である。
 入口付近の詰所で聞き及んだ場所の辺りを暫く歩き、いくら進んでもかわり映えのしない墓標の群の中でその名を見つけて立ち止まった。
 定期的に清掃はされているのだろうが、それでも長い時間の経過を感じさせる程度には劣化した無骨な墓標が眼前にひっそりと佇んでいる。
 立てられた墓標に刻まれている戦死者の名は──"稲越修"。墓標前の長方形の石碑に短い碑文と、彼の生没年が記されている。没年は十三年前の二七年──その墓石の下の棺に本来入るべきだった者の亡骸が先日、ようやく運び込まれた。それまではその棺には別の者の遺骸が埋葬されていた。その者の遺骸は、彼の墓標の隣に建てられた真新しい墓標の下に移し変えられた。
 仕事の終り際、高原絢香に依頼したのだが、中々手回しが早い。
 没年は彼と同じ十三年前。
「これで頼まれ事は終りだな、修」
 レイは口許を歪めて笑み、紫煙を細い糸にして吐き出す。
 三年前の中東騒乱時も、それ以前の第二次ユーラシア騒乱の際からもだが、彼が──修が行ったような行動は珍しい事ではなかった。
 二十四年前の二〇一六年、民間軍事企業の戦争経済に関する要諦を盛り込んだ国際規定──ヴェルヘンスタイン条約がドイツで締結された。その条約は民間軍事企業が特定の国籍を持たない軍隊としての地位と独立権限を確立するものであり、軍産複合体勢力や有力な独立軍事企業体を著しく台頭させる要因となった。その二年後に勃発した第一次ユーラシア騒乱は、致命的な民族対立と化石資源市場の利潤確保を狙う先進国同士の関係に端を発し、多国籍軍の事実上の分裂によって騒乱は一年足らずで終結した。この出来事が世界各地に与えた影響は甚大なものであった。
 代理戦争を主商品として民間軍事企業と国際企業軍は急激にその市場を肥大化させ、それら民間組織を利用する事で先進国は各々の資源利潤を確保しようと奔走した。現在までの約二十年間は、戦争経済の拡大期であると同時に、それらに異を唱えるゲリラ勢力の世界連携の爛熟期でもあったといえるだろう。
 高原財閥もその恩恵を大きく受けている。高原財閥の企業グループ内における軍事部門の筆頭企業「シーグフリード・ヘッド」はヴェルヘンスタイン条約の締結を機に大きく躍進し、各国の有力な民間軍事企業を傘下に収めるまでに巨大化した。
 その際に起きた高原財閥内の抗争で高原美津加は双子の妹に国内を任せ、自らは死を偽装して国外へと渡った。  ──先の条約の最たる成果が出たのは第二次ユーラシア騒乱だった。ヴェルヘンスタイン条約締結は民間軍事企業の著しい台頭を招き、第一次ユーラシア騒乱は中央アジア一帯での多くの新興国誕生の引き金となった。第一次ユーラシア騒乱での失態による影響を払拭すべく動いた合衆国を主軸とする多国籍軍は、第一次ユーラシア騒乱の混迷化を招いた中華人民共和国を中心とする対抗勢力を相手取って再び中東を主戦場とし、二度目の資源戦争に乗り出した。当然の経過としてそれは、中東新興国との深刻な軋轢を招き、同時に未曽有の武力衝突を招いている。
 その危機に対応すべく、ヴェルヘンスタイン条約機構の招聘によって組織された国際企業軍は中東各地の戦場へと派兵された。
 修も、その中の一人だった。
 訳有りの戦死者を記録から消去したり、修が行ったような、意図的に自分を戦死扱いにして親しい者の遺体を入れる、などという事はそれほど珍しいものではなかった。
 管理部門に多少のコネと金があればさほど難しいものではない。
 十三年前を境に修は公的に戦死し、彼の身元を上書きされた別の遺体が国内へと送り返されてきた。その遺体の引受人になったのは、レイだった。
 それが修からの頼まれ事の片割れで、もう片方の頼まれ事も本人が帰ってきた事でようやく済んだ。
 ──高原美津加と共に戻ってきた修は恐らく、さらに悪化していた母国の現状を憂えただろう。
"彼女"が望んでいた自分の国がこんなにも荒廃していた現実に失望し、だからこそ高原美津加と共に左派の思想に傾倒していった。
 立ち位置が違ったが故に、結局修とは話さず終いになったが、それもまた、珍しくはない話だ。レイは浅く息をついた。本来なら、修が帰ってきていた時点で頼まれ事の残り半分はやらなくて済むはずだった。だが、そうはならなかった。
 レイは二つの墓標の傍ですこしの時間を過ごし、それから踵を返した。
 名誉霊園の入口まで戻ると、門にもたれ何本目かの煙草をくわえていたグレーシェルが、「もう済んだの」と言葉を投げてきた。
「長居する所でもないしな」
 懐から取り出した筒状の携帯灰皿に吸殻を捻じ込む。装飾用の蔦類が巻きつく名誉霊園の門を最後に一瞥してから、麓まで続く郊外道路の歩道に足を向けた。
「アレクセイは、セントラル(中央統合駅)だったな」
「ええ、夕頃には帰れるでしょう」


                      *


 中央統合駅を地上基盤として聳える首都圏最大の独立型複合都市──エリア01を構築する超高層ビルの上層区画にある小奇麗な喫茶店を、アレクセイは待ち合わせの場所に指定してきていた。窓辺の席に腰を下ろしている彼の傍に近付くと、アレクセイはその気配を察したのか読み込んでいた経済新聞をたたみ、レイとグレーシェルへ視線を向けた。
「座りな」
 顎をしゃくって向かいの空席を指し、レイとグレーシェルはそこに腰を落ち着けた。グレーシェルが純白のコートから煙草を取り出したのを見て、アレクセイが手元の灰皿をテーブルの中央に差し出す。
 透き渡った晴天の下に無秩序に展開するエリア01下層都市部の全景を何となく眺めてから、珈琲を啜るアレクセイの方へ視線を向けなおした。
「今件の事案は全て収束した。ご苦労だったな、レイ、グレーシェル」
 体裁上の労いの言葉を始めに発した後彼は、丁度傍を通りかかったウェイトレスを呼び止めて二人分の珈琲を注文しようとしたので、レイはそれを一人分に訂正した。
「高原麻由美は失脚した事で、近々高原財閥は、左派連からの脱却を表明するだろう。旅団の支援企業群の一角が事実上、崩壊する訳だな」
 首都圏動乱において、左派系反体制武装勢力の筆頭を担う如月旅団を支援する六大企業の一角による庇護が失われた。
 この事実は、これから先の急激な情勢変化の発端となるだろう。仕事を請け負う前から、既に明らかになっていた可能性だ。それを踏まえた上で、左派勢力に与するアレクセイは仕事を仲介し、レイとグレーシェルは今件の事案を遂行した。
 テーブルの端においていたソフトパックから香り煙草を抜き出して火を付けた後、アレクセイは口許を僅かに歪めてみせた。
「後悔してるんじゃないだろうな」
 ウェイトレスがグレーシェルの珈琲を運んできた後、煙草を吸い終えた彼女と入れ替わるようにレイは煙草に火をつける。
「……俺がか?」
 器用に眉の片方だけを上げて、心外だとでも言うようにおどけてみせるアレクセイ。一週間前にレイ達を事務所に呼びつけた時から、彼は自分なりの警鐘を鳴らしていた。
 ──賛成しかねる、と。
 左派勢力に与する者としての立場を重く見ながら、それとは相反する意図を孕んだ事案が自分の関係する形で進行する事実に、歯止めを利かせられなかったアレクセイにとって恐らくあの言動が、ギリギリの分水嶺だった。
 レイとグレーシェルが仕事を請け負った事によって結果的に、アレクセイは自分が重きを置いていた立場を踏み越え、そして、首都圏動乱に大きな波紋を齎す一石を投じる事に関与した。
「全て踏まえた上で、俺は関わったんだ。後悔しちまったら、終りだろうが」先と同じような笑みを浮かべながら紫煙を吐き出す。「そういうお前はどうなんだ、レイ」
「──立ち位置が違うんだよ。俺達は本分を全うした。それに……」
「それに? なんだよ」「いや、それだけさ」
 最後に紫煙を大きく吸い込み、短くなった吸殻を灰皿に捨てる。
「何れにしろ、これから周囲は忙しくなる。当然、俺達もな。それにアンタは、自分の分水嶺を侵した、解ってるだろ?」
 アレクセイは肯定の意を込めて瞼を伏せる。
 左派系武装勢力に与する六大企業の一角の脱却、この事実は左派勢力内部の情勢を激変させるに留まらず、近頃沈静を保っていた右派勢力──鞍馬総連にも大きな影響を及ぼすだろう。
 首都圏動乱が新たな変革期を迎える。自分達は元の居場所に戻り、陰の中に紛れて動乱の潮流の中を進んでいくだけだ。それが、レイ達の今の分水嶺だ。
「俺達はもう行く」
「またな」
 珈琲を飲み終えて一服していたグレーシェルと視線を重ね、彼女が吸い差しの煙草を灰皿に押し付ける。それから窓辺の席に座るアレクセイを残し、喫茶店を後にした。
 隣の超高層ビルと繋がる回廊を渡り、地上基盤の中央統合駅へと直通している最寄りの大型エレベーターに向かう傍ら、
「結局、高原財閥から音沙汰はなし、か……」
 人通りの少ない回廊を、レイのすこし前を歩きながらグレーシェルが口を開く。
「とうの昔に死んだはずの人間だ。公にする必要もなかったって事じゃないか」
 三日前、レイとグレーシェルは仕事の完遂を高原絢香に伝え、邸宅から早々に去った。十三年前に一族の抗争で命を落とした叔母の亡骸を発見して、彼女が何を思ったかは関知する領域ではない。
 一族にとっての大きな事案が済んだ今、高原絢香も自ら再び波を立てるような真似は望んでいないだろう。それがこの三日間、高原財閥から何の接触もない要因だろうと、グレーシェルとレイは予測していた。
 他の事実がそこに介在しているとしても、何らかの形で再び自分達が高原財閥に関係しない限り、この事実は騒乱史の影に潜み続ける。 「神崎、か……」
 ウェイトレスが持ってきた珈琲をグレーシェルから受け取り、レイはカップを傾けた。







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