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『Salvia Journal紙』、二月二四日付夕刊──。

 OCPD広報官、州議会主導の難民福祉政策に難色──。
 昨日二五日の記者会見の席上で、担当広報官のアダム・レイン氏は今月下半期の犯罪検挙数を発表した。先週末の時点で検挙数は三五二件、うち金融関連施設を標的にした強盗及び強盗未遂事件は四五件。これらは前年度の犯罪推移を上回っており、六月末までには戦後最悪の犯罪検挙数が確実視されている。
 この問題への打開策を記者団から問われたアダム・レイン氏は、次のように言及した。
 ──『OCPDが州全域の民間社会秩序と市民の安全を保障する以上、現状を看過する余地はない。翌月より我々OCPDは即応介入部隊を再編成・増員、犯罪防止と同時にこれまでにない抑止力とする旨がある』
 何故これまで即応介入部隊の再編成を行なわなかったのか、という記者団の問いに対し、同氏は次のように述べた。
 ──『OCPD安全対策会議による即応介入部隊の再編成案は、今年度のごく初期段階から提示されてきた。装備強化と増員についても、州議会の準備予算でクリアが可能であった。しかし、初春の拡大州議会に於いて当局は深刻な犯罪の増加を、難民福祉対策が充分に機能していないために起こっている一時的な問題と軽視した。そのために我々OCPDは即応介入部隊の編成準備に関して消極的にならざるを得ず、今回の結果を招いてしまった』
 レイン広報官は、州議会の治安維持問題に対する認識の甘さを暗に批判した。

『Bay Times紙』、五月二一日付朝刊──。

 難民福祉対策が、重大犯罪の温床に──。
 連邦紛争後、州議会の主導する難民福祉対策とその運営委員会当局は、多くの戦災難民を受け入れた。連邦紛争後に発生した戦災避難民の数は推定約千四百四十万、先月には戦後最大規模の難民移住計画の第三段階が開始された。
 戦災難民を州の復興労働力へ充当し同時に当面の衣食住を保障するという当局の基礎方針は、当初こそOC州市民の支持不足に悩まされていた。しかし復興労働力の確実な増加によって、OC州の戦後経済は著しく上向いてきたと言える。それと同時に、OC州は戦後最悪とも呼ばれる重大犯罪危機に直面している。
 三ヶ月前のOCPDによる記者会見に於いて担当広報官は検挙数の増加について、六月末までに過去最悪の犯罪検挙は確実であると言及した。実際、先月段階での犯罪検挙数は、八五六件と発表されている。うち、戦災難民が関与した犯罪件数は、三分の一近くにあたる二五〇件とされる。
 この事実について難民行動分析学の権威、アヒム・エビングハウス氏は、運営委当局による難民福祉対策と密接な関係性があると指摘する。
 同氏は、運営委員会の見落とす対策法の落とし穴について言及した。
 ──『連邦紛争後に発生、拡散した戦災難民の中には一般市民のほか、紛争に参加した元軍人が相当数に上る。敗残軍である彼らの大半は軍事法廷への出廷と不利な裁判過程を惧れ、戦災難民に扮して出国する事例が知られていた。彼らは、受入先の自治領での経歴の露見を恐れている。必然的に難民申請を経ずに不法滞在を犯し、徒党を組んで非合法組織化する傾向にある。無論、これは一部でしかないが、重大な事実だということは確かである。彼らは、紛争後に流出した兵器類の闇流通に多大な影響力を持つ事が多い』
 同氏はさらに、難民登録申請の環境が、難民ら同士による密告会場になっていると指摘した。
 ──『悲しいことか、難民福祉対策は完全には機能していない。福祉享受のみでは生計を立てられない難民らが共謀し、敗残兵に対するヒューマン・ハントが行なわれるということがある。難民との唯一の接触手段である対策運営委員会が設ける場が、そのような事に用いられている事実を市議会は重く受け止め、早急に対策改正案を提示することが必要だろう』

『OCN紙』、七月二一日付──。

 兇人髑髏=A再び市銀行を襲撃──。
 即応介入部隊による連日の追捜をあしらい、数々の強盗犯罪を繰り返す髑髏が先日二〇日、市中央のシベリオ第三銀行を襲撃した。覆面犯計五名による白昼堂々の襲撃によりまたも相当額の紙幣が強奪された。事件担当のOCPD広報官は明言を避けたが、推定強奪額はこれまでに髑髏≠ェ関与した強盗犯罪の中で最大規模と推測される。
 篭城時の人質五五名はいずれも無傷で開放されたが、今回に於いても主犯の髑髏を取り逃した即応介入部隊に対する市民感情の悪化は確実と見られている。
 連邦紛争後に拡大・定着した兵器闇市場との?がりを背景に、豊富な銃火器を強盗事件に度々持ち込む髑髏に対し、OCPDは新たな犯罪対策案を発表した。
 即応介入部隊の更なる増員と、外部傭兵部隊の積極的雇用──OCPD対策本部では特に、外部傭兵部隊による犯罪防止対策が有力視されているようである。正式採用に先駆け、OCPDは独立予算を投入して傭兵部隊を組織しており、既にいくつかの成果を見せているとされる。
 組織編成について捜査性質上、その詳細の発表を行なう旨はないと広報官は言及している。しかし、犯罪抑止に対して同対策案は確実に成果を発揮するだろうと強調した。


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"──調査分析班の経過報告では、人質は当局職員と利用客の計四二名。武装犯の素性は現在分析中だ。相応の火器を持ち込み、篭城から二時間経過した現在まで度々、威嚇攻撃を行って我々を牽制している
"──塵屑どもの常套手段だ。お前達は周囲待機していろ、私達で武装犯を無力化、捕縛する
"──一体どうやって……て、どこへ行くつもりだ、そっちは正面玄関──
"──だったら? どぶ攫い稼業で大層鼻の利く鼠相手に裏口か屋上扉をノックしろと? 風穴が嫌なら、即応介入部隊の投入は避けておけ。後の保障はできんからな
"──そいつはどえらい冗談でんな、せやったらワイ去んでもええっか?
"──冗談は仕事をあげてからにしろ。奴らの利口な鼻に銃火を詰め込んでやる。行くぞ、ごくつぶし
"──あい、姉御

                          *

「動くな、塵屑ども! さもないと──、」
「ワイと姉御の熱くて堅い超怒級のビッグマグナムがお前らのケツ穴に火ぃ吹くで! ケツ穴溶接されとうない奴は、手え上げて尻から出てこいや!」
 突入したがらんどうのエントランスホールに、二人分の制止文句が空しく反響する。高い天井に吸い込まれていく自身の低い声を聞き、ジェシカは突入早々株を攫っていった相棒兼ごくつぶしのジャッカルを睨めた。
「あら……おりまへんがな、姉御?」
「お前が馬鹿でかい声で騒ぐから、逃げられたのさ」  自身の事は棚に上げたジェシカの罵倒に、見たまま犬面の二足歩行獣が「んなアホな──」と、愕然とした表情を作る。  得物の散弾銃を両手に携え、警戒態勢を維持して施設内の全容に視線を切る。奥に吹き抜け二階へ直結する石階段を見つけ、ホールを縦断して踊り場から駆け上がった。
 後ろをえっさほいさ、と中年親父の掛け声で続いていたジャッカルが、鼻腔の先を反応させる。
「おっほ、ええ匂いがしまっせ!」
「金か? だったら構うな──」
 先んじて放った制止もろくに聞かず、継ぎ接ぎ姿の野獣が傍を追い抜いていく。無理矢理接合した跳躍獣の肢脚で跳ねる様は、実に軽やかだ。
 嗜好物の匂いを嗅いだ時だけ、やる気が無駄に跳ね上がるから困る。息をつき、一拍の後塵を拝して踊り場から吹き抜け二階へ駆け抜けた。素早く応射姿勢を取り、視界に臨める限りの二階ロビーを散弾銃の有効殺傷圏域に収める。
「制服職員──、人質か?」
 ロビー受付のカウンター前に、目と両手をテープで拘束された人質と思しき集団が座らされている。見える限りだが、事前に受けた報告の人質の人数と一致した。
 ジェシカの気配に気づいた幾人かが、ふと面を上げる。周囲を注意深く観察したが、監視役と思しき武装犯の姿は何故か見当たらない。
「おい、ジャッカル──」
 警戒態勢もクソもなく跳んで撥ねていった継ぎ接ぎ狐は何処に行ったかと一瞥すると、そいつは凡そ予測通りの場所に収まっていた。
 受付カウンターの内側から剣草型の長い耳が二つ、揺れている。
 ち、と憚らず舌を打った。足元で怯える人質の間を慎重にすり抜け、カウンター内を覗き込む。同様に拘束された状態の女性職員の前に歪な巨躯をしゃがませ、感極まるといった様子で身震いしている。
「相変わらずの変態振りを発揮か、お前──?」
「おっほほ、えらいマブ! こんの匂い、たまらん!」
 中々に筋金入りの嗜好口外をかましながら、ジャッカルは野獣の鼻腔でフンフンと嗅ぎまわる。得物の銃口で、理性のぶっ飛びかけている野獣の頭頂を小突いた。
「お好みの女なら、後にしておけ。それからたっぷり武勇伝を聞かせてしけ込むなり何なりしろ……」
 しかし当のふてぶてしい野獣は、その言葉を左から右へ受け流してみせる。
「くは──ヘイ、セニョリータ? このヤマあげたら、ワイと一緒に一杯やらへんか?」
 両手を摺り合わせて下卑な笑いを浮かべるサマは素行の悪い中年親父そのものだ。当然かどうか、女性職員は相手が見えなくとも、その態度だけで既に引いていた。
「聞いたか、ジャッカル?」「酒に火照ったら、そのまま夜の嗜みといこうや。ワイの脚の撥条は一級品、野獣なみやで」「──いい加減にしろよ、貴様」「粘りも抜群。どや、たっぷり喜ばすで。な、な、ええや──」
 ばん──!
 発砲音がロビー内を重く反響する。
 ジェシカはカウンターに腰を乗せ、鋭い眼光を湛えて得物である散弾銃の銃口を、いまいち聞き分けの悪い相棒の鼻先に押し当ててやった。
 左耳を掠めて散弾に薄い夏毛を剃られたジャッカルが、青い顔をして降参のポーズを取る。
 何だ、聞けばちゃんとできるじゃないか?
「そういえば、最近便秘で困ってるらしいなあ。新しい尻の穴こさえてやれば、便通もよくなるだろう、ん? 幾つ欲しい? 遠慮せずに私に言ってみろ?」
 凄みを帯びた脅迫文句に、ぴょんと居直ってみせる。
「めめめめ、滅相もない! クソする穴は一つで充分でさあ!」
 ご機嫌取りだけは一流のつもりの相棒に対し、声音を一段と落として問う。出来の悪い生徒を諭すように静かに、穏やかに。
「──私の話は聞いていたか、優秀な助手くん?」
「ももも勿論で、あい。真面目に仕事します! 盾でも何でも喜んで姉御の為に粉骨砕身、骨身なんぞ何も惜しみまへん!」
 どこぞの軍隊式に硬い敬礼を決める相棒を睨み、ジェシカは口許に揶揄の笑みを作った。鼻先を得物で一度突っつく。
 ジャッカルの欠けていない方の耳が、ぴくんと反応した。ロビー奥から複数の足音が近づいてくる。
 ホールに反響する騒がしさから、音源数は十ないし十五人程度──全員が銃火器で武装していると推測した。ジャッカルに向け顎をしゃくり、自身はロビーの外縁へ身を転がり込ませた。カウンターを跨いで、
「そうら、お前の所為でとてもおっかない団体さんのお出ましだ。尻拭いは自分でしろ、それくらいは出来るな?」
「んな無茶な、ちっと位手伝うてくださいやっ……」
 やれやれ──嘆息し、しかし、ジェシカは薄く微笑む。外縁に背を預けた姿勢のまま、使い込んだ得物である散弾銃の銃身を優しく撫でる。
 装填レバーを力強く引いた。
 その返答と明確な合図を聞いた野獣が、「よっしゃ」と小さく歓喜するのが聞こえた。大理床に映る後背の全容に、ロビー奥からなだれ込んできた闖入者どもの姿が映り込んでいる。全員が小火器、幾人かは手榴弾をぶら下げている。
(単純な武装強盗犯にしては、随分と恵まれているな……?)
 警官隊の調査分析班が遣した中途報告と大差はない。強盗勢力の主犯については当局の方で調査中との事だが、この街で戦争ばりの武装を背負って荒唐無稽を遣りたがる"どぶさらい"などは限られている。
 ジェシカはこの時点で、ある程度の確信を得ていた。
「おんじゃま、一丁派手にいきまっせっ」
 号令を機に相棒がカウンタ内から身を曝し、呼応して机上に得物を掛けて射撃体勢を取った。継ぎ接ぎの胴体に備えるカンガルーポケットに手を突きこみ、その中から重機関銃を二挺、掴みだした。長大な銃身を持つ凶器の銃口が鈍く煌めき、ちょうど受付カウンターに近づいていた武装集団の先頭がたじろぐ。
 当たり前だろう、八尺以上の人外の野獣が喋るだけでも驚きモノだが、その継ぎ接ぎが身体の中からいきなり軍隊一個分隊なみの火器を持ち出せば、誰でも足くらいは下がって当然だ。
 そんな冗談で阿呆のような、生き物のように動く兵器などあるとは思わないだろう。
 ──尤も、怯臆に基づいたものなら、それは致命行為以外のなんでもない。
「撃て──!」
 ほいな、とジャッカルが軽妙に応答、両手にそれぞれ携える得物の引金を絞った。雷雨のそれと形容するにも重厚な銃声が轟き、一手出遅れた武装集団の前列を一挙に薙ぎ払う。濃い血煙が舞い、破砕した肉片が周囲に撒き散る。
 先制攻撃の一掃射を終えた間隙の中、
「先に行く、お前は全員始末してから来い」
「うえ、手伝うてくれるんとちゃいますの、姉御っ……?」
「丁度良いダイエットだと思って気張ってみろ。期待してるぞ、色男(チャーリー)?」
「おう、んなら気張りまっせ。姉御の為に道開けます、行ってくださあ!」
 再び口径十二.七oの凶弾が成す弾幕が空を裂き、いまだ応対攻撃の体裁が整わない武装集団の隙を突いて身を低く飛び出させた。
 調子がいいのか単純なのか、扱いやすい相棒な事で結構だと、ジェシカは面白げに微笑む。
 傍の石柱が石榴のように爆ぜる。闘争心を滾らせる相棒が遠慮なく機銃掃射を射かけ、その弾幕が頭上を飛び交っていた。
 石礫の豪雨の中を潜り、ジェシカはロビー最奥部の関係者用非常扉を開いた。閉口した非常扉を隔てて戦火の嘶きが鈍く遠くなり、一本道の連結通路を外部出口へ向けて駆ける。
「何時も、素早い退散な事だ。感心するよ、全く……」
 ジェシカは、見えざる主犯の介在の危機を察知して動いていた。先程ロビーを襲った武装集団の中には、目視出来る限りで主犯らしき者の姿はなかった。加えて事前段階で人質の監視役が一人も居なかった、という以上二つの観察点から導き出せる可能性といえは、一つしかない。
 開放しっ放しの連絡扉から職員用駐車場へ走り出る。至極至近、金目のものを根こそぎ詰めた麻袋を背負う二つの人影を制止した。
「止まれ、どぶ攫い!」
 得物の銃口を突きつけた二つの人影が振り返り、その片割れ──実にフザけた灰色の髑髏仮面と視線が交錯した。ジェシカは憚らず舌を打つ。
「──相変わらずフザけた面だな、髑髏。今日も随分と稼ぎをあげたみたいじゃないか、どれ程だ?」
「これはフロイライン──また、お目見え出来て光栄です」
 慇懃な言葉遣いだが、不遜な態度を窺わせる髑髏に対し、ジェシカは先ず鼻を鳴らして応える。
「それは嬉しい限りだ。だが、褒め言葉ついでに、その儲けごと身柄も譲って貰えると助かるのだがな?」
 髑髏面の痩せ男は、やれやれと首を振る。
 厭らしい男だ──。
 言葉を多く介せず、ジェシカを簡単に苛立たせる異性は少ない。
 ジェシカはその気質の通り、玉が付いただけの人間の大半を、男とは思っていない。彼女のその認識を新たにしないのなら、まさしく今、銃口を突き付けられていながら微動だにしない髑髏面の痩せ男は、実に骨のある男といえる。
「時間が惜しい。それにお前のような腐った柑橘の臭いを振り撒く奴と喋ってると、こっちまで気が滅入るんだ」
 武装強盗勢力主犯各に対する当局からの拘束規定は、生死問わず。
 しかしその指示の是非など問う必要もなく、得物の引金を引いた。
 駐車場の低い天井に発砲音が鈍く反響し続ける中、ジェシカは相対距離約二十メートル弱からばら撒いた十二ゲージの散弾が何ものかに阻まれた不快な衝突音を聞いた。
 髑髏面の傍に居た協力者──大柄な体躯を備える金髪女が自らを盾とし、効果散開域に入った散弾を全てその背中に受けていた。
「鈍いだけの野獣とは大違い、変わらず大したオートメイターじゃないか──だが、そうだな。お前は腐った男の風上にも置けやしない。全く、頂けない有様だ」
 着込むジャケットに弾痕を残す巨躯の金髪女の陰に紛れ、髑髏がその仮面の下で厭らしい笑い声を漏らす。
 レバー装填を済ますと同時、盾となっていた金髪女が今度は、蛇蠍の如き挙動で肉薄してきた。薬室への装填は済んでいたが、しかし、既に鼻先へ迫られている。
 金髪女がかけるサンバイザー越しに鋭い殺意を感じ、気圧される錯覚を覚える。
 実に気概のあるその具合に苦笑いした瞬間、金髪女の繰り出した拳打が、ジェシカの決して小さくない身体を宙へ弾き上げた。
 咄嗟に盾にした銃身が軋み、衝撃に指先が痺れる。
 反転攻撃に臨むべく中空で姿勢を持ち直した直後、ジェシカの通ってきた出口扉周りの石壁が内側から爆砕した。発生した噴煙の中を高密の火線が走り、追撃をかけるべく跳躍していた金髪女の側面を直撃した。弾幕の衝撃に、その巨躯が容易く弾かれる。
「遅れやした、姉御! 塵虫どもは駆除したんで恒例の尻叩きは勘弁してくだせえ!──ていうか、こら、おま、このアマなにウチの姉御に手上げとんじゃ、ミンチにしてつくねにしていてまうぞこらっ?」
 噴煙の中から瓦礫を踏み砕いて現れるなり、両腕のみならず身体のあちこちに得意の重火器を備えたジャッカルが唸る。血走ったその目つきは今にも飛び出しそうで、溢れる殺意は野獣のそれである。
 被弾による横転から膝を立てた金髪女が、鬱陶しそうに乱れた前髪を掻き揚げる。こめかみの辺りに出来た銃創から鮮血が滴っている。傷は思いのほか、浅いようだ。
「うおっ? 何つうマブ、たまらん──!」
「たらしが、気を抜くなっ」
 どすの利いた声音で制止をかけ、それにジャッカルがぴん、と背筋を正す。肝心の髑髏面は、立ち上がった女の背後で潔しという他ない素早さで、現場離脱を図りはじめている。
 逃がすまい、とジェシカは駆け出した。事前の意思疎通は愚か、阿吽の呼吸などという連携など知る由もない相棒に期待し、立ち塞がる金髪女の側面に強襲を仕掛ける。即座に反応した金髪女が前方に割って入り、ジェシカの追撃を阻むべく長い腕を突き出す。頚部を掴まれる間際、ジェシカの視界から金髪女が掻き消えた。
「いてまう言うたやろが!」
 予想以上の働き振りを見せた相棒が、金髪女の細い首を掴んで吊るし上げる。
 そして間断なく、
「つくねになれや!」
 野獣本来の凶悪な膂力に任せ、吊るし上げた金髪女の身体をコンクリートの足場に叩きつけた。足場が破砕し、石片が周囲に飛散する。駐車場の縁へ一目散に向かう痩せっぽちの背中を追った。金網のフェンスを飛び越え、宙へ逆様に身を投げた髑髏が例によって厭らしく笑った。
「逃がすかっ!」
 自らもフェンスに向かって跳躍、その上の僅かな足場で強引に射撃体勢を取り、地上へを落下してゆく標的に照準を合わせた。
 ジェシカの迷いない発砲に反応し、優雅に腕を拡げていた髑髏が金品の詰まった麻袋を引っ張った。眼下に向く視界を、麻袋の中から吹き飛んだ紙幣の吹雪が舞う。
 その裂け目から覗く先には、既に何者の姿も確認できなかった。
「くそ──またこんな所で、」
 フェンスの上で悪態をつく。コンクリートが派手に破砕する轟音が、背中を押した。崩落した石柱の瓦礫で頭を叩かれる野獣が、鈍色の噴煙の中に埋もれている。その前に立つ金髪女へ再装填済みの得物を向けるが、そいつもまた、舞い立つ噴煙の中に紛れて、何処かへと消えていった。
「ち、やってくれる……」
 得物の散弾銃を肩に担ぎ、噴煙が落ち着いた瓦礫の山の中で項垂れているジャッカルの脇腹を蹴りつけた。しかし、当の本人は何処か浮ついた顔をしながら何事か呟いている。
「ええ、びんたやった……たまらん、滅多にないで。あんなマブに至高の一撃もらうなんて」
 何を言っているかと思えば──まるで夢心地でぶつぶつ口外する愚か者の足元を、散弾で抉った。
「さっさと撤収するぞ。立て、失態の責任を全てお前持ちにするぞ」
 ジェシカの発言に顔をさあ、と青くしたジャッカルが腹を揺らしながら立つ。
「いくらなんでもそればっかりは──」「だまれ役立たず」
 連絡通路から戦場跡地の様相を呈すロビーを跨ぐ中、ジェシカは苛立っていた。
 事態収束を悟ってエントランスホールになだれ込む即応介入部隊の喧騒を石組階段から耳にし、深く嘆息する。
 また、"髑髏"を逃した──。

                             *

「──ロビー、Pエリア、他施設損壊多数。武装勢力の手勢一五名を警察病院とあの世に叩き込み、肝心の主犯は現金二百五十万リグを市中にばら撒いて蒸発。野次馬の市井どもがかっぱらっていった強奪金銭の大半も同様。施設修繕費と盗難被害総額は、私の年給定年分を併せても足りん。勿論退職金込みでな。引き換えに人質四二名全員を無傷で救出とは、大した働き振りだ。マスコミどもへのコメントは考えてあるか? 私のクビが挿げ替えを防ぐ魔法のようなナイスなジョークは?」
『全部バカ[姉御]のせいです』
 同じタイミングで言い逃れを試みる相棒の口を塞ぎ、ジェシカは改めて応答した。
「全て、こいつの責任です──」
 厳しく葉巻を咥える老齢の署長は、鬼のような形相で口許に歪んだ笑みをつくりだす。
「エクセレント、素晴らしい文句だ」
 腹の底から臓腑と共に捻り出すような賞賛に、ジェシカは足を組んだ姿勢を保ちつつ、鼻を鳴らして応えた。同じ接客ソファの隣でしつこく抗議する野獣の頭をひっぱたいて黙らせる。テーブルと向かいのソファを跨いだ奥の執務机に腰を預ける署長が、紫煙を濃く燻らせる。年齢相応に禿げ上がった頭を撫で、
「それで、そのお前達の渾身のジョークで何が評価されるという? 甚大な被害総額と主犯の逃亡と引き換えに大勢の人質を救った署長殿は、事態を解決に導いた腕利きの"テスタメント"と事後責任の擦りつけ合いをして面倒を押し付けられた。なんて不運で口の弱いビッグボスなんだ、おまけに"美女と野獣"にはめっぽう弱いときた。こりゃあすごい、署長殿は素晴らしい弱腰紳士だ。さて、次の新任署長殿は誰か、皆で札を賭けようじゃないか──……、フザけるな!」
 ばん、と机上を叩く音が、薄汚い署長室の壁に反響する。それに驚嘆したジャッカルが、椅子からずり落ちた。
 自らの保身ばかり気にかける署長殿の、余りに逞しい発想力に揶揄を入れようとし、ジェシカは寸での所で思いとどまった。咳払いを一つはさみ、自前の煙草を咥えこむ。署長殿が投げてよこしたオイルライターに預かり、火を点す。同じように放って返した。
 嗜好が似通う者に対しては、少なくともまともな配慮があるという事か。
 しかし、署長の表情は面白い程に厳しいままであった。
「現場鑑識の解析調書を見れば、主犯二人はやはりテスタメント──"髑髏"だったというじゃないか。まったく、貴様らテスタメントはとんだ厄介の種だ……」
 言うに事欠いてそうのたまうのかと、ジェシカは僅かに眉を顰める。
 独立州自治領──アウターシティを近年、無秩序に荒らしまわる神出鬼没のくそ犯罪集団に手を焼いた末に、たまたま長いしていた"流れ者"を雇ったくせに、たかだか成果なしが半年ほど続いた程度で、すぐこの癇癪である。
 これが仮に戦場であったなら、一年以上はざらだというのに──。
 都市治安の象徴である州警察OCPD≠ェ"髑髏"というならず者への刺客に、同類の流れ者をやむなく雇用した経緯、その事実が動かせない以上、事件打開までの采配に気を長くもってもらわねば困るというものだ。署長殿は特に。
 想像力だけはやたら逞しいくせに、それ以外の先のことはてんで読めていやしない。
 心の中でのジェシカの文句に気づくはずもなく、署長は続ける。
「お前たちは、対テスタメント専門の流れ者だと聞いたんだがな。その噂は、私の聞き間違いだったか?」
「さあ、どうでしょうね。特段、二年間も神出鬼没を繰り返している手練の塵屑を相手にして一朝一夕で成果を出せる程ではありません」
 何とかして自身のフォローへ終始したかったが、結局言いたい事だけを言った格好になってしまった。
「雇ってから二ヶ月、この長丁場が一朝一夕だとでも?」
 ジェシカは悪びれなく、しかし、首を竦める。
 件の"髑髏"事件に関わらず、自由傭兵"テスタメント"を本気で討伐しようというのなら、腕の一本ないし、身体の半分くらいは気前良くくれてやるくらいの気概が必要だ。そうでないなら、どうしても慎重にならざるを得ない。
 拡散技術の普及以前の産物──第一世代の"テスタメント"を相手にするなら、尚更である。
 と毎度思ってはみても、明日の可愛い我が身ばかり気にするハゲの署長殿には、丁度良いあおり文句にしかならないのは、火を見るより明らかだった。
「資料によれば奴は、貴様らと同じ第一世代だそうだな」
 署長殿が、机上の分厚い資料を大した興味もありそうにない目で見ながら言う。
「これだけの騒ぎを起こしておきながら、髑髏本人に関する情報をさらうのには大分苦労したそうだぞ」
「まあ、国が既にないわけですからね……」
「──旧アグニト連邦共和国国防陸軍内の兵器分析開発組織、"かれは機関"の主導により製造された自律単位戦力"オートメイター"と、その管制権限を持つ指揮者"ピースメイカー"の総称を、"テスタメント"と呼ぶそうだな?」
 なにを今さら──と思いつつ、ジェシカは首肯した。
「同機関は共和国の存続中、仮想敵国の兵器情技術情報を専攻分析──戦時下では鹵獲兵器の解析を主任務とし、アグレッサー部隊としての分野を担っていた。当時の計画主任、ヴァイセ・フラウ博士が"テスタメント"計画を軌道に乗せた後、試行生産された第一世代戦力が連邦紛争に即時介入。平均確認戦果、六四二.三、戦線転覆率二五二.二。軍事介入から約五ヵ月で、当時劣勢だった連邦紛争の戦況を挿げ替えた──英々たる記録だな、信じられんよ」
 署長殿が、ちらりと相棒のほうへ視線を流した。資料に目を戻し、続ける。
「紛争末期に計画主任のヴァイセ・フラウ博士が変死した後、第一世代戦力は組織的に分裂。いくつかの軍閥体へ遷移し、そのまま終戦を迎えた。このなかのひとつに貴様も、髑髏もいたのだろう?」
「ええ。それがどうかしましたか」
 意識して、ジェシカは冷淡に問い返した。署長殿はなにも、と応えた。
「いまさら身辺調査の整理などする理由を聞きたいですね?」
「特に意味などはない。髑髏という狂人が現れて以降、我々は時間をかけて奴の素性を洗い出したのだ。奴のことならば、奴と共に連邦紛争を戦った者達を除いてもっともよく知っている。そして君は、我々よりもはるかに、髑髏という存在を知っているはずだ……」
 ああ。なるほど、とジェシカは悟った。つまり、いやがらせだ。
「我々は一朝一夕を求めているわけではない。最善、かつ迅速な事態の収束を望んでいるのだ。まして今件──"髑髏事件"は、最早我が署のみの問題ではない」
 ジェシカは小さく吹き出した。
「ええ、まったく、仰るとおりです」
 署長が鯰のような目を僅かに細める。ジェシカの肩に不快な感触が触れた。見ると、電話線を相棒が手元に手繰り寄せている。
「──あ、ロイヤルベスティアーナとシーフードミックス、注文できまっか──え? 部屋は、OCPD署長室。あ、それとポテトなみなみとホットショック追加で。あい、あい。じゃ、頼みまっせ!」
 ジェシカは冷たく視線を切り、紫煙をゆったりと燻らせる。署長も同様だった。
「……これは大戦以来、我らが街で最悪規模の連続犯罪だ。奴が──生き残りの"髑髏"が二年前に現れてから齎された被害総額は、莫大なものなのだ」
「それは中々、相当ですね」
「あー、ごっつ腹減ったわ。朝駆りだされてから何も食うとらん。もーダメ……」
「しかも奴は、メディアへの露出を全く恐れておらん。まるでサーカスの演出か何かのように、毎度毎度フザけ切った髑髏面で悪事を働くと来た。まるで我々の行動全てを嘲っているかのように。挙句、奴を真似た模倣犯まで頻発する始末だ……」
「あれは、愉快犯にはよくある手合いですよ」
「いつまで待たせとんねん。腹ぁ減りすぎて継ぎ目が緩んでまうやろがっ」
「そう、そのたかが時代物の愉快犯如きに、我々が遅れを取ることなど、断じてあってはならん。──旧アグニト連邦共和国の残党だかなんだか知らんが、そのような崩れ者の無頼漢などに手心を加える訳にもゆかん」
「──アウターシティの面子、ですか?」
「やっとられんで! こない遅うなっとんやったら、客なめとんのとちゃうか? わいの面子丸潰れやんけ。あ、潰れんのは署長の顔か……」
「その通りだ。これは我が署、引いては我らがアウターシティの威信がかかった重大案件なのだ。──連邦共和国が失陥してから八年、多くの都市国家体がその悲惨な煽りを受けてきた。紛争に次ぐ紛争の中であらゆる問題に立ち向かい、この街もその中で立ち直ってきたのだ」
「それを流れ者──しかも同じ崩れ者の"テスタメント"に任せてもよかったのですか?」
「君達は腕利きのパーティだと、そう信じている。それで問題はなかろう?」
「──……はあ、まあ」
 何とも都合の良い話が署長の頭の中には犇いているものだ。こっそり嘆息した時、お邪魔中の署長室の扉が鳴った。
「あいあい、待っとったで! もう、堪忍してーや!」
 応接ソファからずり落ちて終いには絨毯の上でごろついていたジャッカルが芋虫のような蠢きで立ち上がり、颯爽と扉を引き開いた。
 ぎょっとした配達スタッフをよそに、腰のほつれた継ぎ目をほじくって紙幣を抜き取り、代わりに大量のオーダーフードを抱えてジェシカの横にどすんと座った。手当たり次第に野獣は、その持ち前のばかでかい口腔の中に放り込み始める。
「……くっは、たまらんでほんま! これ、この味、この味や! さっきの子も中々かわえかったのう、毎日来てくれるにゃったら、お得意さんにしてもらえんやろか」
「──"髑髏事件"には、アウターシティの全てが注目している。くれぐれも、今後メディアの目に止まるような失態はないように。我々としても、メディアの目を誤魔化すのに何かと苦労するのでな。ここまで事態が深刻化している以上、我々としても後には退けんのだ」
 ジェシカは咥えた紙巻煙草を一気に吸い上げ、吸殻を備え付けの灰皿に捻じ込む。恐ろしく濃厚な紫煙を辺りに吐き出した。
「──今後の、もしもの際は?」
 禿頭の署長もまた、吸い差しの葉巻を執務机の灰皿に押し付ける。先程まで愚劣極まりない説教を垂れてきた署長殿が、狡猾な表情を宿してジェシカの双眸を捉えた。
「誰かの名誉と、その名が引き換えになることだろう」
 署長の例の鯰のような視線が、隣で遅いランチを貪り食う獣の方へ流れてゆく。
 心の中で小さく嘆息し、は署長殿以上に愚かな相棒の後頭部を鷲掴みにした。手元の食いかけのピザごと纏めて、オーダーフードが溢れるトレイに押し付けた。
「──おむが? もが、おげぼっ」
 ジェシカは冷酷に徹した表情の中で笑みをつくる。
「よく、肝に銘じておきます。誰がその時、責を負うのか──なあ、ジャッカル?」
 ケチャップその他の具材がべっとり貼り付いた汚い面を、相棒のジャッカルが上げる。ジェシカは凍てついた視線で見下ろし、相棒の野獣の顔からさあ、と血の気が引いていく様を堪能した。

                          *

「──……君たちは腕利きのパーティだと、そう信じている。問題ないだろう?」
 日中のお叱りの場で無能の中年はげがのたまった高尚文句を復唱し、ジェシカは今夜何杯目かのウイスキーを呷った。
 一気に干し、ぼはっと息をつく。
 カウンター越しにパブの女将が苦笑した。
「どうかしたの、ジェシィ?」
「どうもなにも、ハゲ署長殿からのとってもありがたいご高説さ。デスクに座ってケツで椅子磨きしてるだけのジジイは気楽なもんでいいな……」
 うふふ、と女将は口許に手を添えて笑う。恵まれすぎな程に豊満な胸元が揺れた。脳味噌が一気に沸点に達した野獣ががっついて首をろくろのように伸ばした。首根っこを掴んで強引に引き戻し、卓上の晩餐に顔を突っ込む。
アウターシティ(OC)に流れて来てから二ヶ月、流石にそれくらい経てば慣れたものなのだろう。女将はあらあら、と困った風でもなく微笑む。
「日刊読んだわよ。惜しかったじゃないの」
「結局逃してちゃ、惜しいもクソもありゃしない。奴さんが口から手が出る程欲しいのは自分達の正義、勇猛、優秀さを喧伝するに相応しい華々しい結果だけで、OCの治安維持を一手に担うOCPDの救いようのない無能さを助長する三流誌の為のゴシップじゃないのさ」
「あら、珍しく弱気なのね? らしくないわよ」
 救いようのないお能で愚痴の捌け口にされた本日、たまには愚痴のひとつでも漏らしたくなるものさ──そう、鼻で意思表示する。ウイスキーボトルを引っ掴んで、グラスに注いだ。溢れる雫を垂らしながら、ぐい、と一気に咽喉へ通した。常連客であり友でもあるジェシカの普段らしかぬ呑みっぷりに呆れる事もなく、女将が卓上の汚れをさっと布巾で拭った。
 布巾を流し場で絞りつつ、女将は柔らかい口調で言う。
「OCPDの署長さんも昔は、それはそれは正義感に燃えた、正真正銘の正義の味方だったのよ?」
 この街に深く根付き、昔からそこに居座る人物の口から出た意外な情報に、ジェシカは「……へえ?」と片眉を吊り上げてみせる。頬杖をついたまま、再び注いだグラスを傾ける。
「OCPD始まって以来最高の体制派の猟犬(ガヴァメント・ハウンド)なんて呼ばれて、この街の無頼漢の全てが畏怖の対象としてみる程の英傑だったわ。──スピード・マッド事件、覚えてる?」
 女将の口から齎された語句に、ジェシカは軽く頷く。
 SR事件と言えば、六、七年程前にこの街で起こった犯罪事件の一連を指している事が多い。先の大戦の終戦に伴う巨大連邦国家の失陥後、多くの関連諸国がその煽りをまともに喰らった。特需経済の衰退、崩壊──当時の誰もが予想すらしなかった大国消滅に絶望していた頃だ。
 国家規模での秩序崩壊は大戦で疲弊した軍隊の手にも負えず、暴動に次ぐ暴動、内乱と独立自治領間紛争、幾つかの政変すらも誘発した。
 戦後最大の混乱期だったと言えるだろう。件の事件は、丁度その頃に起こったものだ。
 世俗に復員しながら職にあぶれた退役軍人らによる徒党が組織化、戦後各地を傭兵部隊として渡り歩いた後、連続殺傷、略奪、占領犯罪を行なった。
 武装警官隊と幾度も衝突し、その末に傭兵部隊が瓦解した事で事件は収束、現在に到っては、憶えている者の方が少ないだろう。
 そうか──禿の署長殿は、その時に手柄を上げた英雄の一人だったという訳か。
「武装警官隊の雄、"ミハイル・アントノフ"──あの頃の彼は、正しく輝いていたわよ」
 そう、昔日を懐かしむように呟く女将の視線と一度交わり、彼女は壁棚のフォトスタンドを指先で指し示す。
 ジェシカと同じ年の瀬の女将がその写真の中で、まだ禿ていない筋骨隆々、精悍な佇まいの署長と並んで他の面々と共に映っている。
「それが今じゃ、あんなに化けた訳だ。切ない話だ、実に切ない──」
 何とも形容し難い達観した笑みを女将が作る。
「自負が強くなりすぎたのね。それに疲れたのよ、今では」
 戦後間もない混迷期に、署長と同様武装警官隊の経歴を持ち、一時は同じ釜の飯を食らった彼女がそういうのであれば、それはそうなのだろう。特段、ジェシカが疑問に思う所はなかった。
 失態や底辺から無縁な者ほど、その現状に過ぎた自負を抱くものだ。  やがて襲う不測の事態を前に傷を作り、癒えぬ内に幾度も抉られ、自負を捻られてゆくと、今の禿署長のような哀れな歪んだ正義の鏡写しが出来上がる。
 終戦前まで似たような組織に身を置いていたジェシカは、そう考えていた。
「貴女、今いくつだったかしら?」
「なんだよ突然?──……三八、だったかな。言っとくが、私のは数えだぞ」
 出された酒を水のように食らった所為ではない。その程度の正常な意識はジェシカの中に残っていた。
「そう。……ねえ、ジェシィ? 私と一緒に暮らしてみない?」
 次の一杯を傾けていたジェシカは驚かず、しかし、グラスを呷った格好のまま、女将を見やった。視線を向ける先の当人は、伏目気味に視線を落としているが、その表情は到って穏やかなものであった。
 グラスを卓上に置き、
「突然な告白だな、これは……私みたいな流れの根無し草にどうした、らしくない話だぞ?」
オペレータ無所属傭兵になってから、結構経つのよね?」
 改めて聞かれる事もないだろうと思っていた問いに、ジェシカは一瞬思案する。
「──国が亡くなってからだから、八年ほど、か……。確かに、周りの感覚で思う所では、あながち間違ってないだろうな。……どうした、私の身でも心配してくれるのか?」
 女将は小さく、こくんと頷く。
「貴方達のような身空じゃ、辛い事も少なくないでしょう? 大戦で失われた亡国の生き残り、ましてやそ立役者を担ったテスタメント≠セったなんて……怨嗟の的になる事はあっても、賞賛や平穏とは無縁じゃないの?」
 ──……ずいぶんとはっきりモノをいう。
 今でこそ淑やかな気質から来客に人気のある彼女だが、その中で頑健な意思を芯に備え、物事の道理を心得ているのが女将という人物だ。
 でなければ、数多の荒れくれ者が身を寄せるパブを、何年も続けてなどいられないだろう。
「いつか私が、鏡写しになるとでも? あの哀れな署長のように?」
 備える気質により歯に衣着せぬ端的に物を言うジェシカに対し、女将が苦味を帯びた笑みをこぼす。
「んう女将、ピザ追加頼んます!」
 大質量の晩飯をぺろりと平らげたジャッカルが、大声で注文する。その声量に鼓膜を叩かれ、ジェシカは眉を顰めた。
 はいはい、と柔和な笑みを作り直し、女将は杖を床についてカウンター内を移動した。慣れた杖捌きで不自由な両脚を補い、先程から既に準備していた注文のピザを相棒の前に提供する。
 それからジェシカの前の棚に再び居直る女将を見届け、ふとジェシカは思い出した。グラスに残っていたウイスキーを飲み干す。一層火照りを見せる頬に手を当て、ジェシカは含み笑いした。
「そうか、そうだったな。アンタは脚が不能になったから、降りたんだったな?」
「──そ。なまじ歳を過ぎてたから、もう戻るのも諦めたわ」
 壁棚に腰を落ち着け、彼女は軽く瞼を伏せる。先程彼女が指差したフォトスタンドに再度を視線を切った。その中の女将はまだ、ちゃんとした自前の両脚でそこに立っている。
「──この歳で心配してもらえるなんて、嬉しいね。でも、私らには不要なものさ」
「どうして?」
 ジェシカは間を設けず返答する。
「私は手足が?げた程度じゃ、何も失わないし、見失わないから」
 にやりとしてみせ、ジェシカは左の襟元をはだけさせた。生白い肌が曝され、しかし、肩に近い鎖骨の外側に大きな縫合痕がくっきりと刻まれている。
 女将の目は終始穏やかな調子を崩さなかったが、それでもその奥から僅かに感情の揺れが滲んでいた。
「両脚だって、同じようなものだぞ?──私の国があった頃は、大陸中が戦争ばかりしていてな。国軍が鉄を造る為に、国中が極貧状態だった。それはもう、溝をさらって蚯蚓一匹を必死に取り合うような有様だっだよ」
 別段取り立てて思い出したい訳でもない記憶だ。現役時に従事した戦闘作戦の最中で吹き飛んだ右手と両脚に関してもそうだった。
 物笑いの種になるかどうかといえば、酒でも入っていなければ、誰も望んで聞きたがらない類のものだろう。
 実際、女将の表情は穏やかなままだがその実、裏側で固くなっているのが分かった。
 ジェシカは笑っていた。しかし、物笑いとしてではなかった。
「あまりにも貧乏なものでな。若いのは皆十六になると、こぞって軍隊に入ったもんだ。そうすれば少なくとも、自分だけは腹一杯に飯が食えたからな。その恩恵で軍は遠慮なく前線に兵隊を送り放題。結局戦争に勝って、後で戦後復興に必要な経済体制を維持できなくなって、自壊したのさ」
 新たに注いだウイスキーの水面を何気なくのぞいた。酷く暗い、僅かな輝きすらもない死んだ瞳の奥を、ジェシカは見つめていた。
 国家体制の全てが対外戦争に向けて総動員されていた中、ジェシカ自身もその潮流に乗らざるを得なかった。溝さらいからまともな飯を食う為に軍人となり、手足を吹き飛ばされてもその生き方にすがって永らえた。
 それでも満たされなかったジェシカは、失陥前の母国が戦線への投入検討を進めていた新鋭戦術戦力──テスタメント&泊烽ノ望んで志願したのだ。
 戦争の大義の為ではなく、ただ生き永らえる為に自ら輝きをも捨てた。
 そうやって、後にわずか数ヶ月で幾多の戦線を転覆させ、大戦終結の為の戦闘行為に加担した。
「──あの頃の私達≠ヘ正義と大義に関係なく戦っていたし、今もそれは変わらない。そんなモノを掲げた上品な戦争をした事なんぞないし、ましてや、そんなものを持った事もない。いつだって同じ戦争だった。いつも皆して、自分の命欲しさに、命を奪い合ったんだよ」
 混沌の渦中を過ごした日々は思い出したいものでもなんでもない。しかし、記憶そのものは鮮烈に今も、ジェシカの頭の中に存在し続けている。
 壁棚を差し、グラスをもう一つ貰う。それにウイスキーを注ぎ、女将に手渡した。
「手足を一、二本失った所で、私達には天秤にかける名分などない。だから、あんた達のように割を喰らうこともない……」
 一方的に乾杯し、呑み干す。たん、とグラスで卓上を叩いた。
 口許を手の甲で拭う。
「ぷは──。体制派の下で戦ったが、根っから私達は違う生き物なんだ。だから女将、心配は無用だよ。私は、昔からそういう生き方をしてきたんだ」
 女将は先程とはまた違う微笑みを浮かべる。世の底辺、しかも光の当たらない側を往く無頼漢どもの集いを束ねる一城の主だ。ジェシカのような有り触れた生き方をしている人間など、取りこぼすくらい見てきている筈だ。
「でも、そうだな──ありがとう、気にかけてくれて。素直に嬉しいよ。だがどの途、髑髏が居つく限りこの街には、私達の居場所なんてありはしないものだと思うが」
「この街は、悪の巡りが早いのよ。髑髏もいつか、その中で淘汰されていく。その時限はいつも、私達が思うより遥かに早いわ。そしていつも、どちらかの当事者側にとって、一方的に済んでしまう」
 その渦中に長らく居座る人間ならではの言葉だ。しゃんとしていない頭でも、今、単純にははっきりと分かることが、ひとつある。
 彼女のその言葉が本当なら、ジェシカはもっと急がねばならない。
 ジェシカはボトルを丸々一ダース、注文した。今度こそ首を小さく振った女将がボトルを片っ端から用意し、その途中ジェシカにたずねた。
「天秤にかけるモノがないといったわね。なのに、今の貴女は急いでコトに望もうとしているように見えるのだけれど。それは何故かしら」
「簡単だよ──かつての私達の"矜持"を、あの髑髏が汚しているからだ」
 正義や大義の為では決してない。あの大戦の中、烈火の日々を過ごし、共に永らえた誇り──同じ人種としてかつて共有した過去の生き様を、髑髏は汚した。
 空腹を知らないとしか思えない胃袋で化物の大食いを実演するジャッカルの首根っこを掴んですぐ隣に座らせる。
 互いの荒い鼻息が届く近さで、ジェシカは唸った。
「今夜は特別だ、呑むぞ──?」
 ボトルをそのまま、ジャッカルの口に押し込んだ。
「おがぼぼっ? あべご、ばい、酒ばのべばせん、うごぼおおっ……」
 脇で締めた状態からジェシカも直接ウイスキーを呷る。一人と一匹の大盤振る舞いにパブ全体がカーニバルの様相を呈し、それが伝染源となって瞬く間に店内は喧騒で満員御礼となった。
「呑まずして、ヤッていけるかってんだ!」
 パブの主が静かに盃を合わせる中、ジェシカは一層猛ってボトルの中身を相棒のジャッカルと共に干していった。
 偶然出遭った髑髏は、かつて昔日の大戦を生き抜いた化物部隊テスタメント≠フ矜持を踏み躙っていたのだ──。

                          *

 八年前、アグニト連邦共和国──。

 間断なく続く砲撃音が、上空で降下待機中の空挺輸送機を震わせる。
 近隣戦闘域に着弾した砲弾の発する一際大きな震動が、咥える紙巻煙草の灰を足元へ落とさせた。黒煙が流入する風防から、燃え差しを放り捨てる。
 インカムに入電ノイズが交じり、意識を傾けた。
『友軍部隊による撹乱砲撃は、長く見積もって十五分が限度だ。我々は速やかに強襲降下を実行、眼下戦域の即時制圧を図る──』
 蔓延する黒煙の影響で深く霞む機内、対面座席に待機する現場指揮官──スヴァローグが最終確認を発する。彼の言葉を聞き、機内に待機する総勢三〇名、純粋戦力にして一個小隊規模の隊員らが意識を傾注した。これから戦闘に臨もうという者達の程よい緊張を感じる。
『攻撃制圧目標の化学工場を抑える敵兵力は一個小隊、屋内は閉鎖戦域での応対火力戦闘が想定される。"テスタメント"は二人一組を原則維持、常に状況を先回りしろ』
 スヴァローグは忌憚なく、指示を完結した。彼が言葉にしている以上に、今作戦の実際は熾烈を極めている。状況が如何なものであろうと相変わらず果断に困らぬ指揮官だと、私は息をついた。
 だからこそ、隊員達は戦争に遣り甲斐を感じるものだ。
 戦線転覆の為の要諦──化学薬品工場を擁する河川市街域の制圧が、友軍にとって戦線前進の為の必須要件である。河川を境とする国境線の先には、分裂離反した独立州軍の敷設戦線が展開している。対岸からの反転攻撃を避けて市街域を攻略するには、極短時間での戦闘収束が不可欠であった。
 過度の死傷率が出る事を嫌った大隊本部が、私達"テスタメント"部隊に制圧任務を委託したのは当然の成り行きというものだろう。
 戦力が拡散中の通常任務部隊では、即時制圧など夢見事も良い所だ。短時間の戦闘収束が最低条件の上、対岸で敵対する独立州軍が報復攻撃に出る前に此方の防衛陣形を布陣しておかねばならない。
 大隊本部は皆揃って無能だが、最低限の分別程度は弁えているらしい。
 空挺輸送機が上空旋回から降下空域へ進入を開始、撹乱砲撃が起こす煙幕の中に本機を埋没させた。より一層濃い煙霧が機内に流入し、視界が完全に遮断される。
 ふと、機内で降下待機中の降下人員の何れかから視線を感じた。私はそれが現場指揮官──スヴァローグのものだと即座に察した。噴煙による視界不良が蔓延する機内は一寸先も暗く、野外から轟く爆音の影響で肉声も届かない。
『──ジェシカ。お前達は精製プラントの制圧だったな』
 視線を感じて間もなく、その本人から共有回線を通じて無線が飛ばされてきた。
「そうだが?」
『精製プラントは同工場の基幹施設だ。戦線拡大後すぐに操縦停止されている為、可燃性物質がそのまま放置されている可能性が非常に高い。くれぐれも、相互火力戦闘だけは回避しろ』
 出撃前の事前確認の段階で明示されていた指示に違わぬ言葉だった。
「既に確認済みの手筈だろう。どうした、心配しているのか?」
 無線と、機内直接を跨いで彼が含み笑いを浮かべているのが感じられた。
『くどいか? 大隊本部直々の要望だ。万一の事態になってからでは、言い訳を捻り出すのも一苦労だからな。分かってくれ』
 大隊本部の危惧する最悪の事態──精製プラントに於ける相互火力戦闘という人的ミスが何を招くかは、現場に臨む全員がよく承知している所だろう。
 可燃性物質への引火で薬品工場含む周囲一体が焼け野原になることなど、誰も望みはしない。仮に成功した所で、防衛陣形の敷設など望めないだろう。
 今眼下に向けて行なわれている撹乱砲撃も、対岸から支援戦力が派遣されない時間限界を見越して行なわれている。
「──くどいようだが、了解した。だが、そうだな。お前もたまには気の利いた冗談を考えてみたらどうだ?」
 無線越しに、彼がふむ、と呟く。それから、
『大隊本部に拠る所では、私達自体が冗談の産物とのことだ。それを上回るセンスなど、生憎持ち合わせていないな』
 緊張感が張り詰める中に在って、乗り合わせる待機隊員らの笑いが共有回線に満ちる。
「大隊本部の言い分、ご尤も。ならば、私達が何をしようと全ては性質の悪い冗談の域を出ないという事だな。そもそも言い訳など不要という訳、か」
 妙な言い回しだが、スヴァローグの詭弁は実に愉快なものだった。
 我々化物部隊、"テスタメント"分遣隊を統率する彼の作戦報告に、彼が考える冗談はそもそも必要ないのだ。
 口許に浮かべた笑みの名残りを揉み消し、自身のすぐ隣に待機する相棒の方へ視線を切った。我々と同じ兵服を纏い、我々と同じ人間の姿を象る彼女が霞む機内で、継ぎ接ぎの顔に宿す死者の双眸を向けた。
「降下地点確保、いけるな?」
「──……、……」
 自己の"契約の理"を形成する片割れのオートメイターは、こくんと抑揚に乏しく頷く。機械生体工学の粋をもって製造された戦術単位兵器、"オートメイター"とそれを使役する指揮兵力である私達の存在が、大隊本部には冗談のようにしか映らない。そして、何よりも気にいらないのだ。
 既存の戦術概念を全て覆し、そのはるか外側で英々と戦線を拡大する我々が。
 大隊本部の上級部隊、第114歩兵連隊が三ヶ月掛けても転覆できなかった戦線を、たった二〇〇名から成る"テスタメント"が僅か一週間で激変させてしまった事などは特に。
 そうやって衝撃的な戦果と共に、混迷期を迎えて長い騒乱に我々は踏み入った。
『地上、降下確保地点に到達──オートメイター、降下を開始しろ』
 一切逡巡のない指示に即応し、各人員の傍に待機するオートメイターが滑走式射出機構を起動、先行して機外への自由降下を開始した。相棒の自由降下を開放されたハッチから見送る。
 続いてスヴァローグが、待機人員への追随降下を指示した。
 それに従い、隊員達が速やかにファストロープを開始していく。
 私は最後発でロープに手を掛け、
「結果が良い方に転がれば越した事はないが……そうでない場合は、現状に於いての限りではない、そういうことだな?」
『──無論だ。いずれせよ、好戦果を望むのなら、手段は選ぶな』
 彼の確かな言質を受け取り、私は速やかにロープ降下へ移った。
 黒煙の裂け目から眼下の戦場を見下ろす。友軍の最大進軍境界から放たれる威力撹乱砲撃の幾重もの火線が市街域を縦断、薬品工場の周囲へ間断なく着弾していた。
 それに対して河川を挟んだ対岸は未だ大人しい。
 単なる一過性の示威行為だと、現段階では軽視しているのだろう。
 敵対する独立州軍がそう思っている間が、我々の最大の好機だ。
 ものの数秒で高度一五メートルから滑り降り、着地と同時に周囲に視線を切る。携行兵装の突撃小銃を携えて警戒線を張る相棒のオートメイターAMと目視確認を済ませ、素早く傍の薬品工場外壁に張り付く。
 共有回線で降下完結の無線を発する。間もなくして上空待機していた輸送機が噴煙に紛れて、戦域を遠ざかっていった。
「──相互火力戦闘は最大限回避。だが、以降十五分以内の戦況推移によっては、その限りではない。その際は自己裁量により、発砲を許可する──いいな?」
 自らの意思による尽力を惜しまず、故に他と異なり人型を保つ相棒が首肯する。
 声帯機能を持たないが為に、決して言葉を繰ることはない。しかし、他のなにものよりも忠実であることを、彼女はその行為で表現する。
 私の血肉を半分預けた代物だ、当然か──。
 ハンドシグナルで行動隊形を二人一組からワンマンサポートに切り換え、相棒を一階の資材搬入口から進入させた。その間に外壁階段から迂回し、吹き抜け二階の内部連絡通路に伏射姿勢を取った。傍に転がっていた射殺死体を背に覆い、その重みにじっと耐える。
 先遣偵察隊が把握した限りでは、薬品工場を占拠する防衛戦力は各区域に其々三個班、半一個小隊規模との事だった。狙撃銃を構えたままスコープを用いず、肉眼で眼下の精製プラントの様子を観察する。
 連絡通路を主な哨戒順路として、目視出来る限りで確かに三個班規模の人員が配置されていた。
 現状は、セオリーの範疇だな……。
 不意の遭遇戦の可能性を含め大原則として火力が行使できない現状に於いて、遂行できるのは直接戦闘ではない。故に私は7.62ミリ狙撃銃を構え、連絡通路に伏している。それが必要になるのは、即ち相互火力戦闘が起こる間際であり、今私が遂行すべき事はひたすらに観察する事であった。
 死者の肉を被り、そして私自身も死者として戦場に振舞うのだ。
 死者の目で戦場を臨み、その中で死者の相棒を見守るのだ。
 資材搬入口からの進入を果たした相棒は、山猫のように細い身体をコンテナ同士の隙間へ滑り込ませ、陰から陰へと伝って移動していく。
 河川近くという土地柄もあり、一層厳しい晩冬の冷気から身体に染み込む。極力息を殺し、白い吐息による発見の危険性を抑える。
 開放状態の無線から、工場各域に拡散展開した味方行動班の動向が逐一入電される。
 いずれかの行動班が接触行動を起こせば、すぐに各域へその兆候が現れるだろう。
 その一瞬の隙と混乱が、絶好の機会へと直結する。
 そしてその瞬間は程なくして唐突に、しかし、私達にとって予定調和の範疇で訪れた。
 通風管と精製設備が密な階下──近隣区に近い連絡通路にいた哨戒班が異変を察知、指示を受けて増援に向かう。コンテナの陰に身を潜めていたAMが、定期哨戒路を離れた兵らの後ろに滑り出す。大振りの強襲ナイフを用い、美しささえ覚える手際で彼らを瞬く間に無力化した。刃物と不意のみを用いて一個半、六名を切り刻んだ彼女に先んじて視線を切り、階下施設の状況を把握する。
 一個班を喪失して尚、察知された様子はない。異常を察知されるまではまだ、数十秒以上の猶予がある。他の哨戒班が有事隊形へと遷移しているが、肝心の"現場"にはいずれも離れた位置にある。
 砲撃被害を恐れて屋内深くに留まる敵兵に発見される可能性は低く、充分に正確な状況の把握が連絡通路からは可能だった。  尚も設備機器の陰を伝い、死者のように相棒が次の標的へと染み寄る。後天的に齎された彼女の優れた感覚器官は、直接視覚に捉えられなくとも敵の位置を正確に把握する。
(死者のように──……、悪い物言いだったな)
 死者のように──ではない。事実として相棒である彼女は死者であり、操る身体は死んだ肉片を寄り合わせた代物そのものだ。
 彼女の介在を敵が察知する事は難しい。
 戦場では普通、死者は動かないものだろう。
 また一個班、彼女は機械的な効果殺害を持って、接触勢力六名に残酷な死を齎した。
 見事なまでに綺麗に分解処置された死体の流血が染み渡る。殺害戦果は上々、しかし、結果が次の不遇を演出した。
 精製設備の隙間を経て連絡通路の床から染み出した流血に、隣接区域を通行中の警戒兵が気づく。その哨戒兵が半一個小隊に異常を報告、砲撃音に塗れる施設内に騒然とした雰囲気が蔓延し始める。脅威の蔓延を察知した相棒がその場から素早く離脱、いずれの配置からも離れた、しかし伏撃に適した設備の陰へ忍び込む。
 応援に駆けつけた一個班が惨殺現場にたじろぐ一瞬を突き、後方の二人を刃物と徒手で無力化。しかし、今度ばかりは完全な不意という訳にもいかなかった。
 中々に優れた反応を見せた残りの兵が、至近距離から応対射撃を見舞う。反転攻撃を喰らうまでの寸秒の間に、相棒は跳躍して吹き抜けの宙高くその身を曝した。
 対空銃火が彼女を猛襲、弾幕の内の何発かがその身体を確実に貫く。
 損傷を受けて落下しつつも、姿勢を整えて相棒は柔らかに連絡通路の一端へ身体を着ける。軟着陸の衝撃で銃創から夥しい出血が溢れ、しかしそれを顧みず相棒は止まらない。
 オートメイターである彼女にとって、あの程度の出血は直接の死因とはならないのだ。
 まばらな血痕を辿り、相棒を追う追跡班の後背を照準器に捕捉し続ける。
 まだだ、安易に撃つべきではない──。
 冷静に勤めて判断した。プラント内で戦闘行為を続行する相棒の姿はまだ、私の火力掩護を必要としていない。最悪の事態に限りなく近づいているとしても、故に待つ事が出来た。
 それは、絶対的な信頼にも近しいものだろう。
 そしてそれこそが、"テスタメント"の"契約の理"を成すものなのだ。
 現状の打開はいまだ、相棒の範疇に過ぎない──しかし、その判断推移も間もなく次に提示された予兆の前に改変せざるを得なくなった。
 追撃班から指示を受けた別働班が動き、自身の付近はプラントを跨ぐ階下連絡通路で狙撃態勢を確立した。追い立てる場所まで追いたて、確実に無力化できると判断した段階で致命打を浴びせる腹積もりだろう。
 相棒が連邦共和国の投入したオートメイターという事は、先程確信したに違いない。
 決断に時間は要さなかった。
 相棒の後背を敵追撃班が捕捉、制止すると同時に行動を起こす。
 隠れ蓑の死体を撥ね退け、ほぼ直下付近の狙撃班に向けてオートピストルによる掃射攻撃を射掛ける。相対距離にして約十二メートル、生身の片手撃ちならば集弾率の悪化補整によって大した戦果は挙げられない。
 だが、生憎と自身の両手両脚は全て相棒のオートメイターに繋ぎ合わせた。
 戦闘補助用義肢の射撃制御機構が機能し、頑健な代替銃架の機能を果たす。弾倉一つを消費して狙撃班を無力化。自身という潜伏戦力の顕在化を知らせてから、反転攻撃を喰らうまでに寸秒も足りない。しかし、そこに追撃班の同様という間隙が僅かにでも生まれたのなら、それで充分であった。
 追撃班の応対射撃が轟き、私の頬を一発の小銃弾が掠める。
 離脱行動を取らず、あえてそこに留まった。挫射姿勢を維持、主兵装の狙撃銃を両手に構え相棒を制止していた兵二人の後頭部を撃ちぬく。
 明確な指示など必要とせず、相棒は標的を切り換えた。こちらへ応対射撃を食らわした残る残存兵四名を背後から瞬く間に切り刻んだ。
 目視でき得る限りで精製プラントに敵性動体の姿は消え、機会を同じくして薬品工場を周囲から揺るがしていた砲撃がぴたりと止んだ。
 リミットを過ぎたか──。
 共有回線を通じ、相棒に声を掛ける。
「被弾箇所は大丈夫か──?」
『──……、……』
 目視で、彼女がこくんと小さく頷いた。

「目標制圧、損害はごく軽微──大隊本部に嫌味を延々と垂れ流されるのが必至となった訳だが……諸君、まずはご苦労だった」  先の化学薬品工場の奇襲制圧、ひいては河岸市域の武装解除という目標を達成した二〇人の精鋭に向け、スヴァローグが労う。彼の気質が強く出たまめな補足事項に、焼け落ちた広場のモニュメントの周りで休息する面々が笑う。そこらで拾い集めた湿煙を相棒と分け合う傍ら、私は彼に呼応して言葉を投げた。
「それで、原隊からの転進指示は?」
 忠実に隷従するオートメイター──軍用犬を基礎に縒り合わせられた四脚獣の頭を撫でるスヴァローグは、
「大隊本部が戦果報告を確認次第、我々は前進を再開する。主力大隊に先んじてリラ川を渡河、河岸地帯の敷設陣営内部への進入を図る。大隊本部の采配で戦果報告が"挿げ変わる"のを待たねばならんが、長くみても翌夜までだろう」
 あの愚図どもが──と、胸のうちで大隊本部の無能どもを罵倒した。安全地帯となった事を充分に確認してから、それでも地雷原のど真ん中でも歩くかのような慎重さで進駐に臨んだ大隊本部長殿は、いつもコレだ。
 本土首都の士官学校の出にして、仮想演習の反芻戦果だけで大隊長に抜擢された青二才を原隊から離れて現大隊に合流した時に一度だけ見たが、そのたった一度切った視線の中で充分に分かった。
 典型的な使えない上級将校だと。優秀な指揮戦力に戦闘を丸投げするばかりか、確認戦果だけを横取りする矮小な気質にいつまでも甘えているせいで、最低限の作戦用兵すらもこなせない。
「貴族あがりの大隊本部長殿に、地雷原の歩き方を誰か教えてやれば? 地雷原を通り道に使うのはモグラくらいだって」
 火の点った湿煙を口許で弄びつつ、冗談を振る。周囲の面々は大隊本部への冷かしへ口々に同調しつつ、各々の一時休息を過ごす事に余念がないようだった。
「その無能振りのお陰で、私は用兵を自由に出来る。良くも悪くも、循環というものだ。我々の現状に、それ以上は望むまいよ──?」
 指揮官らしい、不平のない言葉を紡ぐ。ただし建前などでなく、それがスヴァローグの本心である事は、私を含む彼の下で戦う誰もが理解していた。
 彼の持つ理念と各々の矜持に、生き延びる可能性を見出した者同士が集ったのだ。
 倒壊した石像に腰掛けたまま、スヴァローグは先程から群がりつつあった戦災児に菓子を分け与える。襤褸布の汚臭に眉のひとつも顰めず、彼は終始穏やかに勤めた。
 都合の良い持ち合わせなどなかった私は、戦災児達を慣れた対応であしらう。とうの子らも慣れたものか、食い下がる様子もなくほかの兵らに畏れずモノを乞う。あまつさえ、異形のオートメイターにも近づいていた。
 集る子らを全て捌いたスヴァローグが、その様子を見て口許を僅かに歪める。
「誰に懐いておけば得をするのか、よく分かっている。将来有望だな、ジェシィ?」
 吸い差しの葉巻に火を点し、彼が顎をしゃくる。私は鼻を小さく鳴らした。
「お前のその物言いだけは、気にいらないな。高説、ごもっともだが」
 彼の示唆する所の将来──大きな幸運と余りに小さな可能性を突破しなければ、生き残る事のできないその時期を、誰がどうして歓迎できようものか。
 私は代えの湿煙を咥える傍ら、モニュメントの周囲にたむろする戦友達を一瞥した。互いの素性など、全員が知る訳ではない。
 しかし、視線を切った一度だけでも知っている範疇の大半が孤児か、それに近い出自である。そして更に広い範囲で見渡せば、連邦共和国軍が戦線に投入した最近二年の全兵力の約三割がそうだと、確実にいえる。
 大戦の為に貧困が蔓延する共和国内では、珍しくない状況だ。
 戦火と蹂躙、強奪、飢餓、不眠、死──あらゆる絶望に追われた末にどうしようもなくなると、大概の若児は入隊最低年齢となる十六歳を待って、軍隊に飛び込む。
 そうして志願兵から一ヶ月生きていられるのは三割程度。大体は、訓練期間修了後の三日以内に死ぬ。急激な戦線の拡大に躍起になり、離反した元連邦加盟体への徹底的な弾圧と殲滅を望む上級将校どもは、素人志願兵など消耗品ほどにも捉えていない。
 それでも誰も彼もが、連邦共和国の軍人になりたがる。
 私もそうだった──。スヴァローグを含む、知る限りの戦友もほとんどはそうだ。
 運良く凌ぎ、永らえる術を学べば、それまでの兵役が無二の財産に変貌する。これからの戦火を運良く潜り、運良く十六歳を迎え、運良く兵役を永らえられられれば、孤児達もそれを知ることだろう。
 だが、それを私は確固として歓迎はしない。
 貧困に追われ、軍人になりたくてその道を歩んだが、そうでなければ決して、望みはしなかっただろう。
 何本目かの湿煙を指に摘んだ頃、広場に通じる街路の角から男数人のものと思しき騒ぎ声が届いた。同様にそれを耳にした隊員の面々が、鋭く反応して面を上げる。
 襤褸布の切れ端を引き摺ったほぼ裸体の少女が街路から現れ、モニュメントに集うこちらを見咎めると、わき目も降らずに駆け込んできた。たまたま外縁にいた私達──相棒がその小さな身体を抱きとめた。
「どうした?」
 石像から腰をあげたスヴァローグが尋ね私は、さあ、と返す。激しく動悸する少女の背中を見つめ、足元に視線を移した。裸足の足裏から本人の血が滲んでいた。
「おいたの過ぎる溝ねずみがいるらしいぞ、スヴァローグ?」
 ほう、と彼が頷いた所で、至極分かり易い解答が少女の現れた街路の角から遅れてやってきた。
 連邦共和国軍の兵服を纏う一般兵が三人、周囲を見回してこちらの一団に気づく。見るからに素行に難のありそうな彼らが、傾いた足取りで近づいてきた。
 戦闘の収束した市街で鹿狩りでもする気になっていのか、手許には安全装置の外れた自動小銃が携わっている。
 適当に小突いて追い返そうと足を踏み出した時、背後の気配に制止を受けて私は立ち止まった。代わりに制止をかけた本人のスヴァローグが巨躯を私の前に進め、一般兵の進路を阻むように立ちはだかった。
 相変わらずやることの早い事と、心の中で嘆息する。
 周囲の隊員達も早くも状況と顛末を察してか、首を横に振る。
「ち、めんどくせえ所に逃げ込みやがって……」
 憚る様子などなく、品性の欠片も望めないぼやきが鼓膜を揺らす。
「何の用だ、お前たち?」
 スヴァローグの巨躯と恐ろしく低い声音に一瞬怯んだ手前のスキンヘッドの兵が、しかし、不遜な態度を顔に浮かべ直して言う。
「残党狩りですよ、大尉殿。その餓鬼、渡してもらえんですかね?」
 ガムを噛みつつのたまうその調子は、ひどく不愉快である。相棒に目配せし、彼女の胸の中で泣きじゃくる少女を部隊の奥の方へ匿わせた。そのやり取りを見ていたスキンヘッド野郎が睨みらしい視線を向けてきた。
 締まりも凄みの欠片すらもない威嚇行為に、私は腕組みしながら強く鼻を鳴らしてやった。明らかな嘲りの意図を理解したか、そいつが舌を打つ。
「私には、ただの市民孤児にしか映らないのだが?」
「大隊司令部の直接命令ですよ。──逃げればレジスタンス市民抵抗運動者、逃げなければ訓練されたレジスタンス市民抵抗運動者って奴です」
 速やかな戦線拡大の為に、各戦線展開軍が黙認している準戦闘行為の事を言っているのだろう。速やかな戦線拡大を望む将校共は滅菌作戦を建前にした略奪行為を、黙認──性質の悪い言い方で現せば、奨励してすらいる。
 そんな流行文句を引き合いに出すとは、豆粒程度の脳みそで豆粒程度の悪事を好んで働きたがる、いかにもといった愚図でしかない。
 スヴァローグが呆れた表情を取っているのが、その背中を見るだけで私を含む全員に分かった。
 彼の傍に随う四脚獣のオートメイターも、肢脚で首元を掻いて大きな欠伸をした。
「小悪党が子どもの尻を舐めたがっているようにしか見えんがな──何か、他にもっともらしい説明はつくのか?」
 スヴァローグの簡単な挑発文句に気の短さを露呈したスキンヘッドが、弱卒ならば震え上がる程度にどすの利いた声を上げた。 「この制圧市域は大隊本部の管轄でさあ、アンタら化物部隊のもんじゃあねえよ。大隊本部に面倒かけたくなきゃあ、隠した雌ガキ出せよ──」
 後ろの取り巻き兵二人が自動小銃に指をかける。諍いにも足らないやり取りで発砲するとは思えないが、その短慮さに呆れつつ部隊の面々が一瞬で態度を切り換えた。
 容易に怖気を招く冷酷な殺意がうねりとなって伸び、その冷たさにアテられたスキンヘッドの表情が凍る。
 番犬の唸り声がそれを助長する。
 自らが失態の上塗りをしていると気づけば、無様な悲鳴だけは上げずに済んだろう。しかし、一度引金にかかった指を離せというのも酷な話だった。
 身に絡む脅威に動かされた取り巻きどもが発砲する刹那、スヴァローグは瞬く間に彼らの膝を自前の自動拳銃で粉砕した。一番強くアテられていたスキンヘッドが奇行にでる前に、そいつの脚を払って転倒させる。肩から落ちたスキンヘッド野郎の頭を軍靴で抑え、スヴァローグが見下ろす。後ろめたい事など何もなく、彼は酷薄に宣告する。
「小悪党の中の小悪党にしては、中々気骨がある。次の戦闘で活かすといい。だが、一つ間違ったな──私達の立つ戦場は、私達のものだ。他の誰のものでもない。それを、頭に刻んでおけ」
 感情を露出させることもない、しかし故に、恐ろしく冷酷な教示だった。短く伝え、スヴァローグは兵を強く蹴りつけた。半ば転がり同然に兵らが角の先へ消えるのを見送る。
「毎度、度し難いものだ──」
 私の呟きに、スヴァローグが肩を竦める。彼は背中を向けたまま、相棒の獣を連れ立って歩き出した。
「どこへ行くつもりだ」
「兵らの私掠行為を自粛させるよう、大隊本部に掛け合う。子供に衣服と食糧を与えろ。他の子らの傍に寄せてやれ、晩には戻る」
「全く、本当によくできた上官だこと──」
 いつもの調子に戻っていた隊員達はそれぞれ、穏やかに笑った。

                          *

 数時間後に迎えた夜半、大隊本部から戻ってきたスヴァローグが私達に伝えた任務は、凡そ私達が想定していた状況の範疇に収まっていた。

 夜半の夏風が、再燃する一方的な戦火の臭気を私に届ける。
 議事堂の屋上の外縁から市街地の全容を一望し、その細部に視線を切った。
 明快な虐殺の絵図が蠢き、か弱い嬌声と銃声が不規則に繰り返される。
 新調した紙巻煙草を咥え、相棒が擦ったオイルライターを預かって先端に火を点す。同様に傍に立つスヴァローグが、遥か眼下の市域を見下ろしたまま、部隊員らに指示を通達する。
「容赦するな。殺せ──」
 用兵を全うする士官として抑揚なく。
 責務を全うする士官として矛盾なく。有無の余地なく。
 兵に伝えるものは、一切の許容なく。抵抗する者、逃げる者問わず。
 スヴァローグという士官の口を用いて明言した、そが者達の意向であった。
 明確な指示の通達を受けた部隊員らが、欠けた月明かりの注ぐ市街へと、それぞれ拡散していく。染み渡る影の如く、一人、また一人と。
 渡河作戦を間近に控える大隊本部が発令した公的な作戦命令──市域浄化作戦に異を唱える者達は一人としていなかった。
 後背の気配が全て消え去り、短くなった吸殻を屋上から放った。夜半の生温い河岸風は強く、紫煙を瞬く間に絡めとっていく。蔓延する腐敗臭が鼻をつき、私は目を細めた。
「これが、大隊本部の最終決定という訳か──大層な茶番の中で、さらに格を下げるとは。いよいよ救いようがないものだ」
 茶番のひとつもろくに回せない愚行など、連邦内紛争が始まった五年前から何度も行なわれてきた。正式な戦闘記録として残されず、文字通りの茶番として全てが片付けられる。
 それに巻き込まれた連邦市民は、迷惑も良い所だろう。
 何故、自分達を護ってくれる筈の共和国軍に銃を向けられねばならないのか。
 草の根に過ぎない市民抵抗組織の為に、市域ひとつがまるごと滅菌されるその顛末に不合理を感じるなと言うほうが、無理な話だ。
 しかし、それは彼らに直接関係のない事象でしかない。
 その顛末を必要とするのは市民でなく、いつも我々共和国軍だからだ。
 共和国軍が必要とし、我々が手を下す限り、その行いに疑問を抱かない。
 疑問など、抱いてはならない。
 そして私にとって、その因果などは瑣末以下の話でしかなかった。
 私達の誰もが、共和国の下で戦火の日々を過ごしている訳ではないからだ。
 故に、私達は異を唱えない。
「この調子では、独立州軍を殲滅しようが、共和国の瓦解は免れんだろう……」
「随分と酷だな、珍しい。宣託か何かのつもりか?」 
 そう揶揄はしたもののその発言が何を指しているのかは訊かずとも、また、彼の顔色を窺わなくとも分かっていた。
 州立体群の独立機運に端を発した連邦紛争──その最中で、連邦共和国は多大な犠牲を払い戦線を進めた。自国民に非常な生活苦を強いるばかりか、今回のような虐殺行為すらも共和国群が強制した事例は多い。前線兵力が毎日のように死に絶えては入れ替わり、戦後復興に望めるだけの国民総数が確保されるかどうかも怪しい。
 その可能性にすら目を瞑り、共和国軍は離反州立体を逃さないつもりなのだ。
 私達はその存在に寄り添い、自らの為に戦争を続けてゆく。
 その在り方から離れない限り、私達は随う他なかった。
 スヴァローグが相棒のオートメイターとともに身体を下げ、夜半の闇に紛れ始めた。
「これが私達の分水嶺、戦争だ……」
 彼の気配が完全に失せ、自身の相棒と視線を交わす。
「私達も行くぞ──」

 初夏の夜明けを迎える前に、浄化作戦はほとんど終わった。大隊本部の危惧する市民抵抗者などは皆無だった。諸手をあげて共和国軍の進駐を歓迎した市民らは逃げ惑い、羊の群のように対岸まで追い立てられ、実にあっけなく殺された。
 下水に隠れていた市民は、頭上から火炎放射の雨を浴びせられた。穀物庫に匿われ、息を殺していた子どもらは、バケットの外から銃剣で一突きにされた。私掠品の拳銃を向けた青年は、機関銃でばらばらにされた。落ちた拳銃を拾った少年も、ばらばらにされた。
 虐殺の瘴気に中てられた兵らは、思いのままに過度の暴力を働いた。逃げ遅れた老父を踊らせ、笑わせ、撃ち殺した。礼拝堂から引きずり出した信者の女たちの衣服を剥ぎ、犯した。市民の家屋に押し入り、金品をどぶをさらうようになるまで奪った。
 私は、殺しには参加しなかった。ただ、羊の群を河岸まで追い、あとは殺しをしたことのない新兵らに始末を任せた。浄化作戦に参加したテスタメントらのほとんどが、そうだった。
 戦争ですらない、格の下がりきった茶番に付き合うものなど、いなかった。
 焼却処分のため、射殺死体が市街中から化学薬品工場に集められた。血の臭気がひどく、工場の端で嘔吐する兵がいる。様々な方法で運び込まれてゆく死体を、駐機場の簡易プレハブにもたれながら見ていた。
 はじめに到着した私を誰かがみつけ、それが続いていつのまにか隊員のすべてがそこに揃った。
 懐から抜いた紙巻煙草を咥える。気を利かせた傍のスヴァローグが燐寸の火をよこし、それに預かった。
「やるもやったり、大したものだな……」
 数時間かけての搬入作業の終りに、生きた市民らが背中を銃でつつかれながら工場へ入ってきた。大半は女こどもで、やはりその多くに私と、そのほかの誰もが見覚えがあった。
 多くは衣服を裂かれ、歩調がひどく遅い。顔に青痣を浮かべている子らもいた。明らかに暴行を受けた後だった。
 工場の中へ入っていく直前、その市民らのあとに続いていた兵らの一人を見て、私は舌を打った。
 スキンヘッド野郎が歩いていた。こちらの視線に気づいたそいつが、歪んだ忌々しい笑いをつくる。
「あの愚図が……」
 腹いせのつもりもなかったろう。茶番劇の中でもっとも得をしたのは、あのような男だったに違いない。私はそのあとを追うように、足を踏み出していた。相棒のオートメイターが続こうとしていた事に気づき、制止した。
 しかし、彼女は小さく首を横に振った。珍しい意思表示だった。
 私も、一緒についていくと。
「お前たち、ここで待っていろ」
 横を振り返ると、スヴァローグがいた。彼と目があったが、彼はそれ以上なにも言わなかった。揃って工場内へと入った。
 集団焼却の行なわれる精製プラントに、市民の銃殺体が集っていた。漏れ出した血の臭いは外より一層濃く、空気は粘ついている。焼却用のガソリンが傍に準備されていた。数が足りないが、残りは精製プラントの可燃性物質でまかなうつもりなのだろう。
 銃殺体の山のそばで、スキンヘッド野郎と現場監督らしい兵がなにやら諍いを起こしていた。暫くしてスキンヘッド野郎がこちらの存在に気づき、現場監督に何か言った。それから、銃殺体の傍に集められた市民らを指差す。
 スヴァローグが先に進んだ。足音もなく傍へ近寄られた現場監督が、スヴァローグの巨躯を見上げて仰け反る。舌打ちしたスキンヘッド野郎が言った。
「てめえらが殺せよ」
 スヴァローグは静かに返答した。
「命令というのなら、それは身分不相応というものだろう。どうだ?」
 現場監督の兵が、やや上ずった声で言及する。
「現場指揮は私だ。やってくれないか。責任は、私が持つ……」
 なかなか苦渋に不足しない表情していた。その現場監督の顔色を見て、私は大体の事情を察知した。スヴァローグも同様だったことだろう。
 つまり、スキンヘッド野郎は火あぶりにして、市民を殺したかったのだ。弾薬が無駄になるからなどと不毛な理由をつけて。だから、わざわざ市街で市民を生かし、ここまで連れてきた。それを現場監督は渋った。虐殺行為の締め括りの擦りあいをしていたところに、ちょうど私達がやってきたという所だろう。
 スキンヘッド野郎が下卑た笑い声を上げ、囃し立てた。
「さっさと殺らせろよ。そこの化物の専売特許だろ、皆殺しはよ!」
 スヴァローグがこちらを振り返った。私は肩を竦めて返答した。あくまで命令に従う、と。ややあって、自前の拳銃を手に握った。現場監督の脇を抜け、膝をつかされた市民らの傍へゆく。
 スヴァローグは、手前の若い女の眉間を撃った。一歩横へ移動し、そこにいた男児の眉間を撃った。もう一歩横へ移動し、そこにいた若い女の眉間を撃った。
 静かに、淡々とその行いを繰り返した。等間隔の銃声が精製プラントに、何度も響いた。
 ばん。ばん。ばん。ばん、と。途中弾薬が切れ、弾倉を再装填してスヴァローグは続けた。
 ばん。ばん。ばん。ばん。彼が最後に手にかけたのは、私たちが日中に匿った女児だった。その子は見上げ、僅かに希望の笑みを見せた。彼は銃弾で応えた。
 その子だけは唯一、私が殺しておきたかった。私は静かに、それを堪えた。
 その間呆気にとられていた現場監督とスキンヘッド野郎の傍へ、スヴァローグは戻った。拳銃をホルスターに戻す手が僅かに震えていた。私と同じ、静かな怒りに刈られているのだ。
 傍には分からない平時と同じ口調で、しかし、怒気を孕めてスヴァローグは伝えた。
「殺すのは、私たちの、私の意思だ。オートメイターではない。──小僧、これがお前に出来るか?」
 責任を上役に押しつけ、結果だけを享受するのではない。全ての責を自らが負った上で、戦争をすることができるかと。
 その後、ガソリンが撒かれ、火が死体の山を覆った。
 東の空が俄かに白み始めた頃、焼却処分が終わった。それを見届けてから、現場監督の兵がスヴァローグに「ありがとう」とだけ言った。スヴァローグは伏目がちに、軽く頷いた。

 その日の夜、最も遅い時間に共和国軍による渡河作戦が始まった。
 揚陸艦に乗り込む前、スヴァローグは吐露した。
「確かに、あれは茶番劇だった」
 妙な言い出しだった。防波堤から吸殻を捨て、新しい煙草を咥えた。
「それがどうしたと? ありふれた話だろう」
「いや、私は認めたくなかった。私の矜持が、阻んだのだ。そうでなければ、私は自ら手を下そうとしなかったはずだ……」
 静かな姿勢はいつもと変わらない。しかし、その珍しい言動に、私はなんとかして答えようと試みた。
「人間でなくなれば、それは戦争ではない。人間だけが目的を自覚して、殺し合いをする。スヴァローグ、お前がそうした事は、今回に限っていえば間違いではなかった。私は、そう思うよ──」

                          *

「あー…・・・、ヤな夢みた」
 自前のテンガロンの位置を直し、ジェシカは辟易した表情を作った。隣の花壇に尻を落ち着けて項垂れる野獣が、顔を上げる。
「なんか言いはりました? ひどい顔色でっせ、姉御……」
「妖怪面のお前ほどじゃなあない……」
 見たまま真っ青なジャッカルは、あいあい、と悪い顔色の上にさっぱり冴えない表情で応える。カンガルーポケットから酔い止めの錠剤瓶を持ち出した。
 二日酔いのオートメイターなんて、噂の種にすら聞いた事がない……。
 人外の癖に酒に弱く、早朝まで行きつけの酒場でぐったりしていた相棒の情けない体たらくに息をついた。
 今一度、冴えない意識を切り替える。
「全く、昨日の今日とはな。果て、どういうつもりなのか……」
 髑髏第62号事件──人質数十人を盾に立てこもり強奪紙幣を市中にばら撒いて主犯は蒸発した、という先の顛末から、まだ三〇時間少々しか経過していない。そんなインターバルで馬鹿げた強盗騒ぎを繰り返そうという人間が果たしているものかと、普通誰が思い寄ろう。
 OCという腐敗の町に深く根付いた悪党ですら、そんな突飛な予想はしない筈だ。
 しかし、髑髏とは、そういう人間なのだ。
 衝動と害意の赴くままに暴走を繰り返し、神出鬼没を体現する。
 元同僚であり、今は遍く在るただの塵屑に成り下がった存在なのだと、他の誰よりも深く知っている。
「私達は下水管区からビル内部へ進入する。──お前は先ず、口をどうにかしろ。臭うったらないぞ?」
「無茶言いなさんな、姉御。もとはといえば、あんさんが──うぷ、」
 言い切るのも難しい程度に二日酔いに悩まされるジャッカルを随え、複合ビルを囲む野次馬の最後尾から離れた。流石に連日、しかも同一犯による大々的強盗事件とあれば、話題を呼ぶに充分な出来事だ。その上、今回髑髏≠ェ占拠したのは、OCきっての大手銀行──ゴルトシュミット・グループの大型貸金庫というから、その話題的影響は半端なものではない。
 現場を離れた街区でも駆り出された応援の機動警官隊が交通規制に辺り、周囲数百メートルに渡って市中は騒然とした様相を呈していた。
 混雑する街路を迂回して市中を二分する近隣街区の河川、その河岸沿いに下水管区の洞穴の縁についた。連結通路の入口から内部をそう、と覗き込む。一寸先も闇とはこの事か、電灯らしきものは一切なかった。
 濁りに濁った汚臭ばかりが鼻を衝く。ち、と舌を打ち、背後を着いてきている筈の相棒を、ちょいちょい、と指で呼んだ。
「──……、おい?」
 ない返事を訝しんで振り返ると、当の本人は離れた場所の川縁に頭を垂れていた。見えていない事を幸運と思いたかったが、聞くに堪えぬ嘔吐音が返ってきた。
 ジェシカは額に手を当て、管区入口の石壁に背を預ける。暫く待った後、一頻り落ち着いたのか、突っ伏す相棒は下水溝から漏れた流水で口をゆすいで立ち上がった。
「──うっぷ、あい、なんでっか?」
 直前の荒業を目の当たりにしたジェシカは、香水スプレーを惜しみなくお見舞いした。白桃色の煙霧の中で怯む相棒のたるんだ首の肉を掴んで引っ張り、下水管区の入口へ蹴り込んだ。
「ほら、さっさと働け」
 生憎と手持ちの中に、携行電灯の類はない。手近に代用できそうなものもなければ、相棒を使うしかなかった。
「人使い荒いでんなあ、ちぃと労ってくださいな。ほな、点灯しまっせ?」
 渋々といった様子の相棒の背中に、早くヤレ、と棘のある言葉を突き刺す。それに気圧されたかどうか、前かがみになったと思ったジャッカルが、そのまま動かなくなった。
「──おい、早くしろ」
「──すんません。バッテリ切れです。よう考えたら、こないだから充電しとりませんでしたわ」
 茶目っ気を交えた、しかし欠片程も可愛げのない良いわけは無視した。ポケットから手渡された発条を相棒の後頭部に差し込む。適当な回数を巻き上げると回転発電によって漸く、野獣の見開いたな眼から眩い光明が溢れた。
「ほな、改めて行きまっせ」
 凶悪的なまでにまん丸で不気味な眼が振り向き、ジェシカは反射的にその頬へ拳を殴り入れた。
 後頭部の発条運動を眺めながら下水管区内を深く分け入った頃、目の前の相棒が不意に喋り出す。その大声が、管区内に木霊した。
「うるさい」
 不測に備えて両手に携える散弾銃の突端で、背中を小突く。
「黙っとると、吐きそうでもう無理ですわ」
 ジャッカルは、先程から服用していた錠剤を口許に運ぶ。都合何瓶目かの錠剤をざらざらとその大きな口腔内に流し込んだ。量を飲めばいいものでもなかろうと、ジェシカは心の中で密かに突っ込んだ。
「そういえば、ワイの身体……頭? いや、脚? て、どこで仕入れはったんでっか?」
「──突然なんだ?」
「いや、なんか急に聞きとうなったんですが……」
 そんな事を口走るその意図に、ジェシカは思い当たる所があった。
 機械生体工学の粋である単位戦術兵器"オートメイター"の生身の部分は、元々を辿れば、何らかの死体を再利用された場合である例が多い。それはジェシカの今の相棒にしても例外ではない。そういった寄り合わさりで出来た"継ぎ接ぎ"はごく稀に、憶えていることがあるらしい。
 所謂、生前の記憶というやつを──。
 ジェシカは改めて、周囲を見回した。それから、
「お前、何で顔に痣残ってるか、憶えてるか?」
 問うと、相棒は歩く傍ら首を傾げた。しかし、大した時間も経ずに音を上げる。
「……どっかで打ちましたっけ」
 やれやれ、と首を振る。一度は死んだ身の寄り合わさり、記憶が鮮明に残っていた方が気味が悪いといえば悪い。
「お前の頭な、拾ったのさ──」
 ぱた、と巨体が立ち止まる。その巨躯の背中が強張るのが眼に見えて分かった。
「……あい、つかぬ事訊きまっけど。それって、もしかして、こんな所?」
 ああ、と短く肯定する。
「どこぞの地下水路だったな、詳しくは忘れたが」
 口にした通り、どこで生首を拾ったのかは忘れた。だが、身体の感覚が憶えている限りでは、今歩く地下水路と似たり寄ったりの場所だったように記憶している。
 連邦共和国が瓦解して暫く、辺りの紛争地を放浪していた頃だった。迷い果てたらしい野獣の腐敗死体が、水路の脇に漂着していたのだ。
「……頭が落ちてた?」
「立派な生首がな。下の身体は、どっかの街のゴミ捨て場から拾ってきた」
「じゃあ、もしかしてこのあざって……?」
「腐ってたがなにか?」
「……」「……」
 野獣が青い顔色を更に青くした。最早病的に白い域である。やがて、ぎこちなく動き始めた。
「──まあ、人が百人おったら、百通りの人生ある良いますし、はは、はあ……」
 やれやれ──自分で訊いておいて、衝撃受けるなよ。
 浅くを息をつく。ジェシカは進入経路を記した管区地図に視線を落とした。下水管区内の構造は複雑だが、ヒルズまでの侵入経路は事前段階で、調査分析班から提供されていた。管区地図に落ち度がなければ、先ず迷う事はないだろう。
 手元の管区地図を参考の限りでは、ヒルズ敷地内の汚水処理施設直下まで、間もなくの位置まで来ていた。
「わいの前も、別のオートメイターといはったんでしょ? そいつはどないしはったんで?」
 止水施設の連結階段を上る野獣の尻がのたまう。小突くというのには聊か強く力を込め、得物の銃口を突き刺した。
「少し喋りすぎだな、お前。黙って歩け──」
 あい、と素早く階段を駆け上がっていく。踊り場に先んじた相棒が差し伸べる手を銃口で叩いた。
 連邦時代まで連れ添った前の相棒とは、全く正反対だった。
 このお喋り癖は一体、どこの誰に似たものか。野獣の揺れる尻を小突き回したい衝動を抑えながら、そんな事をふと考えた。
 昨<日深酒をして昏々と眠った間に、昔の夢を見た。近頃では余りなかった事だ。
 今はない故郷の言葉では、そういう経験は何かの予兆だと言うが──。
 野獣がそれを突っつくような事を訊いてくるとは。
 ジェシカにとって、先の野獣の問いに纏わる過去は、特段思い出したい類のものではなかった。
 連邦共和国失陥の潮流に呑まれて、皆死に絶えた。
 形容すれば僅かその程度の事だと、ジェシカは一人自嘲した。
 自身の相棒だったオートメイターを含む、かつての戦友達の大半が死んだ。
 連邦共和国の失陥の理由なら、両手でも足りないくらい挙げられる。
 内紛の惨禍が直接の原因だった事は無論、あらゆる意味で人間が死にすぎたのだ。
 面白くもない顛末だが、それで割を喰わされたかどうかと考えてみれば、全くそんなことはなかったと、ジェシカはある程度の確信を持っていた。
 母国の終焉が抑圧の頚城を外し、永らえた全ての人民を解放した。それはジェシカ達のような嘗ての化物部隊──テスタメント≠ノ対しても、平等な機会を与えた。
 拡散した技術は以降の時代の変遷で多様化し、化物部隊の生き残りが畏怖の対象として見られる事も殆ど皆無になった。
 総合的に捉えれば、決して悪くない歩みだった筈──そうだろう、ジェシィ?
 無我の内に自問に埋没したジェシカの意識を、相棒の声が引き戻した。
「着いたみたいでっせ、姉御?」
 水路の合流路施設、連結階段の上から錆びた梯子が伸びている。相棒と立ち位置を交代し、先んじて連結階段の上部へ上がった。見上げる先、終端のハッチの外縁から僅かに人工灯の光が漏れている。
 自前の散弾銃を片手に握り、器用に梯子を上る。僅かに開いたハッチの隙間から様子を窺った後、するりと下水処理施設へ潜り込んだ。
 施設内を素早く探査してクリアし、続いて相棒がずるりと姿を現す。
「あー……、眼が凝る。慣れんことするもんちゃいますわ、二日酔いで充分釣りが来るゆーのに……」
 締まりのない手で目許を揉むその様は、盛りを過ぎた中年親父そのものである。強壮剤の代わりに酔い止めを服用する様子など、サマになりすぎていた。
「呑りすぎて仕事前に使い物にならなくなるなんてオチだけは、止せよ?」
 右腕に嵌めたアナログ式の腕時計を見下ろす。
 事前調整では、此方の潜入から四十分後、現場警官隊が突入するという事になっている。経過時間にして現在、二十分が過ぎようとしていた。
 埃まみれの汚水処理施設から地上直結の連絡階段を探し当て、非常扉の先へ慎重に渡る。螺旋構造の連絡階段が直上階層、即ち四十六階分伸びていた。
 無限空間の様相を見上げた相棒が、途方に暮れた音を上げた。
「エレベータ使こうた方が早いんとちゃいます、姉御」
「管制室から間抜け面を拝まれて、挨拶よろしく速やかな自殺を賜りたいのか、お前?」
「せやかてコレ、冗談やありまへんて。キツ過ぎますわ……」
 二日酔いの身には荷が勝ちすぎるとでも言いたいのだろう。しかし、それに構っている猶予はない。ジェシカは相棒が垂れ流すその後の文句を、一切無視した。
「即応介入部隊が、二十分後に突入を開始する。私達はそれまでに髑髏≠抑えにゃならん。血の海を見たくなければ、急ぐしかあるまい。酔いを言い訳に、残り少ない猶予を切り崩す意味はないぞ?」
 くらくらと首を揺らす相棒を叱咤し、ジェシカは階段を全速力で駆け上がった。
 都合上、最優先到達目標とする地上三十六階までは、然程気兼ねする必要もない。
 事件発生から現場到着までの調査分析報告に依れば、ゴルトシュミット・グループの保有する複合金庫施設に押し込んだ武装犯は計二四名。内、十七名は第一棟玄関口に陣取り、これは既に度外視している。
 ジェシカの最優先目標は有象無象でなく、首魁髑髏≠フみである。契約の範疇に収まる話なればこそ、遠慮する所など欠片程もない。有象無象の相手は、二〇分後に即応介入部隊がする。
 髑髏が駐留していると予測されるのは、最上階付近──複合金庫施設三七階の上級金庫施設らしい。到達するには、複合金庫施設三棟から形成するトライアングルビルとを繋留する空中回廊を跨ぐ必要があった。
 残りの武装犯は、この手前に待機していると見て間違いない。
 直上三六階まで一気に駆け上がったジェシカは、息を一つつく。辛うじて後をついて来た相棒が、ぜいぜいと息を切らしている。
 その大口を閉じるよう顎を小突き、踊り場の非常用扉を僅かに開いた。
 緩い弧を描く連絡通路の外縁、空中回廊とを繋ぐ入口前に人影が望める。ジェシカの目視出来うる限りで五人、何れも武装状態にあった。
(先に眼を潰す、お前が一掃しろ──)
 過度の走行運動を強いられたジャッカルが口許を抑えながら、
(ムリムリムリムリ──。そないな事したら、わい此処で吐いてまいますて!)
(何の為に酔い止め飲んでたんだ、見せ掛けか? それくらい我慢してみせろ、雄だろうが!)
 臭い息を吐いて喚く相棒の鼻先をつねって黙らす。どの道、積極攻勢に出なければ時間的猶予はないのだ。
 ハーネスから外した煙幕榴弾を、非常扉の隙間から投げ込んだ。
 ぼん、とくぐもった破裂音と共に、連絡通路内が白煙で満たされる。
 間断なく非常扉を蹴り空け、通路内に雪崩れ込んだ。武装犯達の咳き込む声が辺りから聞こえてきた。
「ええい、ままよ!」と後に続いた相棒が、自前の得物をカンガルーポケットと背中の格納庫から引き摺り出す。計四門、長大な銃身の重機関銃の銃口を、前方の煙幕に突きつけた。
 ジェシカは迷いなく、鋭く命令を発した。
「薙ぎ払え──!」
 重厚な銃声が轟き、あらゆる生けし者を粉砕する弾幕が、乳白色の煙幕を引き裂く。瞬間攻撃にして三秒足らず、秒間発射数五百発に及ぶ鉛弾を見舞った後にハンドシグナルで制圧射撃の停止を指示した。破砕した瓦礫片の噴煙と煙幕が交じり合う中、静寂に耳を傾ける。
 足元にまで迫る煙幕の終端から、濃い色の血溜まりが染み拡がった。
「──殺害戦果、確認。充分だ」
 計四門の重火力兵器による反動を受けた相棒が、今日一番の凄絶な顔色を演出していた。引き攣った顔であくまで親指をびっと立ててみせる辺り、相当不味いらしい。
「今は吐くなよ、出番はまだあるんだ」
 今だ晴れぬ銀幕を突破し、上級金庫施設に直結する空中回廊へ踏み込んだ。
 数十間はあろうか回廊が遠方へ伸び、その余りの長さに相棒が再び辟易する。
「長……ねえ、歩いていきましょ、姉御──て、危な!」
 何が、と問う間もなく、振り返った直後に野獣の巨体が覆い被さった。
 ぶよぶよとした異臭のする巨躯がジェシカの全身を押し倒し、たまらず大声を上げた。
「ちょ、臭い臭い臭い臭い! 早くどけ、この──、?」
 耳の傍を掠め、ごん、と重い音を立てて床に何かが落ちる。見ると、現在進行形で公然猥褻を働く相棒の得物が転がっていた。砲身の中ほどから綺麗に切断された状態の砲口に視線がぶつかる。
 やばい──。ジェシカは直感的に行き着いた。無様にもがいて更なる猥褻行為を働こうという相棒の腹部を遠慮なく蹴り上げた。おぅふ、と呻く野獣を弾き飛ばし、素早く身を起こして自前の得物を構える。
「お前──ほう、只の弾除けじゃあない、という訳か」
 今の今まで何処に隠れていたのか──大柄の体躯の金髪女、髑髏≠ノ隷従するオートメイターが、今しがた通り抜けた回廊の連絡口に佇んでいた。
 腹部に蹴りを受けた相棒が、のろのろと立ち上がる。
「いでで、……うお、ゲキマブ!──て、ワイのガトリング二号ちゃんが、うえっぷ──!」
 眼前の脅威を二の次に喚く愚か者を捨て置き、ジェシカは視線を反らさなかった。仮に寸秒でもそうしようものなら、その間隙の間に得物の散弾銃ごと身体を両断されても文句は言えない。
 金髪女の下げた両手から垂れる白銀の煌めきが、妖しく周囲を揺らいでいる。
 あの脅威が、相棒の得物を切り裂いたのだ。
 成程、中々良い切れ味じゃあないか──。
「鋼質フィラメント、やっかいな代物を──ジャッカル、お前は盾になれ」
「そら無茶ですわ。ワイかて三枚下ろしになりとうありまへんもん。逃げてええでっか?」
 ──ち、
「舌打ちってっ? うえ、今あんさん舌打ちしたでしょ、ねえっ?」
「お前、今どのくらい気分悪い」
「ちょ、聞いてって……姉御のナイス蹴りで、実はもう決壊寸前──」
「お、それは好都合だな」「え、それどういうこ──」
 構える散弾銃を振り被り、その銃床を相棒の腹部目掛けて思い切り打ち込んだ。目玉も飛び出さん勢いで相棒が凄絶な表情を作り、胃袋から消化未満のアルコールと錠剤のシャワーを噴出、前方周囲一帯に霧散させた。
 ジェシカはすかさず、相棒の口先目掛けて得物の引金を絞った。
 銃火より齎された火種が噴出するアルコールに引火、連結入口一帯の広範囲を炎の海が覆う。胃袋の内容物を出し切り、即席の火炎放射を全うしたジャッカルが、
「姉御、びどいべすで……、次からは一声……」
 本番前の一通りのカタはついた、ジェシカがそう期待した時、轟々と燃え盛る炎の中に、人影がゆらりと立った。
 ジェシカは口許を歪め、舌を打つ。
「──中々頑丈なオートメイターだな。……逃げるぞっ」腹を折る相棒の背中に飛び乗り、垂れていた耳を強く引っ張った。
「いででで、やめて──! 走る、走りますがな!」
 拠り合わさりの末、恵まれた野獣の脚力を持つジャッカルが、猛然と発進した。急加速に振り落とされないよう、異臭を堪えて相棒の背中にしがみ付く。
 その後背すぐを回廊の床を例の兇器で抉りつつ、火達磨の怪物が追い縋る。
「トンだ熱情の持ち主のようだ。お前、ああいうのが好みだったのか?」
「しつこいスケは苦手や! いやああああ!」
「ならもっと早く走れ!」
 野獣の走りで逃走を試みる相棒の尾っぽが兇器に触れ、毛先がはらりと落ちた。
 ジェシカは毟る勢いで掴んでいた背中から手を離し、散弾銃を後方へ突きつける。
「ち──不味いな。ちょっと、目を貸してもらうぞ」
「目っ? めってどこのっ?」
 お前はまっすぐ走れ、と指示し、ジェシカは両手の指をジャッカルのそれぞれの眼窩に突っ込んだ。ぐりぐりと目玉を抉り、抜き取る。
「うああああ、目が、目が! 前見えまへんて! ちょ、返して、いやああああ!」
 万一の事態──例えば、今のようなのっぴきならない状況だ──を想定し、隠し玉として相棒の中に備えた武装の一つである手榴弾を持ち、背後を振り返る。虹彩の起爆スイッチを押し込み、厭らしくぬめる丸い手榴弾を放り投げた。
「あまりしつこい女は好みじゃないとさ、同情するよ。代わりにそいつを喰らえ、フリークス──!」
 相棒の眼球を象った小型手榴弾が最大効果域で炸裂、火達磨の元金髪女を中心に回廊施設が大きく吹き飛んだ。
「止まれ止まれっ──」
 耳をしこたま引いた末に漸く止まった相棒が、両手を前に掲げてふらふらと歩く。
 前が一切見えない相棒の頭頂部をぽん、と叩いた。予備の眼球が眼窩に収まり、突然視力を得た相棒が嬌声を上げる。
「おお、見える、見える!」
 ご満悦のジャッカルに指示して、崩落した回廊の縁に寄せた。
「殺りましたかね……?」
 その発言の直後、眼前の間合いを煌めきが走った。それはジャッカルの背中へ伸び、そこに展開しっ放しだった機関砲に巻きつく。巨体が引き倒された。背中から危うく放り出されそうになったのを堪え、ジェシカは身を乗り出した。
 最大効果域の爆発を受けて尚、残った半身の残骸で動く化物の姿があった。
 ジェシカは口許を歪め、笑う。
 そうだ。それでこそ、オートメイターというものだ──。
「主への忠義立て、ご苦労。だが、お前はここでお役御免だ」
 片腕を目一杯伸ばし、突きつけた散弾銃の一撃を喰らわせた。拡散前の散弾を受けて頭が砕け、右腕と胴体だけになった焼死体が落下、やがて遥か遠方の地上風景に溶け込んで消えていった。
 相棒の背中から飛び降り、得物のレバーを引く。
「ジャッカル、お前はここで待っていろ」
 さっきまでの弱音のオンパレードはどこにいったのやら、ぶうたれる相棒を諭す。
「これ以上は、髑髏を満足させる結果にしかならない。わかったな?」
 出来の悪いペットを躾ける要領で指示し、己の身と得物一つで上級金庫施設の内部へ踏み込んだ。
 全く、これまでの損失は全て主犯、髑髏の願った推移を辿っているといって差し支えない。ジェシカは確信していた。
 そうやって愉しむ類の人間なのだ。
 追い込まれる過程を愉しむためだけに人質を取り、事実として髑髏は自身が起こした事件の中で、人質を手にかけたことは一度もない。
 髑髏という在任がこれほどまでに危険視されているのは、見境ない暴走の果てに、いつも警官隊に大損害を与えて、失踪するからに他ならない。
 奪った金銭すらも二の次と考えているような男だ──ジェシカはそう思うに到っていた。
 しかし、そうであるならば尚更、自らの手が及ぶうちに始末しておきたかった。
 自らが選択した戦場の中で生き続けることが、我々"テスタメント"の矜持だった。
 暴走を赴くままに繰り返す今の髑髏は、自らが演出した戦場で愉しむことだけを、至高の生きがいとしている。
 最早、許容の余地などありはしない。当然だった。
 人気のないロビーを跨ぎ、奥の無防備に開放された金庫扉から内部へと踏み入る。
 金庫棚が同心円の内側に犇く、広大な銀色の空間──その奥に人影を見咎めた。
「──悪党も極まれば、諦めが良くなるものなのか?」
 仄暗い金庫室、その奥で優雅に一服の時を過ごす"髑髏"を見咎める。
 僅かに俯いていたその面を、彼があげる。歪な眼窩の中に揺れる瞳が、いやに映えて見えた。
「演出は我々二人、聴衆は皆無……聊か、盛り上がりに欠ける運びになりそうですね?」
「貴様の共演者は既に退場した。……だが、落胆することはない。もとよりこの舞台は、私達二人だけのものだ」
 澱みなく口にする。確かな意図を内包した言葉に髑髏が、かくん、と首を傾げた。
「はて、妙な言い例えですね。ならば尚更、貴女には共演者を用意する権利があるものと考えますが?」
 ジェシカは獰猛に唸った。
「──思い上がるな、髑髏。貴様は最早テスタメントから外れた、外道だ。薄汚れた舞台の用意しか出来ない貴様に、私が正直に付き合う必要もあるまい?」
 テスタメント──契約の理をはき違えた髑髏は、自身がそのものでなくなったことにすら、気づいていない。
「私が来たのはな、髑髏?──貴様を、私の手で殺す為だ。貴様はテスタメントではない……ただの罪人だ」
「──なるほど。私闘、という訳ですか?」
「それほど行儀の良いものではない。これは、ただの潰しあいだ」
 途を外れた罪人を裁くのに、自らの契約の理を行使する"テスタメント"はいない。
 腰元のシースから銃剣を抜き出し、散弾銃の先端に着剣する。充分な刃渡りを備えるその突端を、突きつけた。
 煙草を吸い切った髑髏がゆるりと立ち上がる。その華奢な手許には、水平二連式の散弾銃が携えられ、同様に銃剣が備わっている。
「では、ひとつ。漸う、開演としましょう、フロイライン──」
 不愉快な招きの言霊だ。
 純粋に単独での闘争など、久しくしていない。しかし、連邦共和国の瓦解を隔てて絡み合う眷族との殺意が、自身の埋もれた闘争心をこの場に呼び戻してくれていた。
 テスタメントでなくたったとしても、かつてそうであった事実は容易には消えないものだ。
 潰し合いの開演から間隙なく、互いが得物の銃口を煌めかせた。間合いの中間点で衝突した散弾が火花を散らせ、視界を遮断する。
 姿勢を低く下げ、山猫の如きしなやかな挙動でジェシカは突進を仕掛ける。
 火花の残滓が拡散しゆく前方へ向け、銃剣を振り下ろした。
 洗練された撃剣同士による切り結びの轟音が響く。せめぎ合う銃剣を隔てて視線の交錯が肉薄する。
 歪な眼窩の奥に揺れる赤い瞳が、いやに映えて見えた。先程よりも強く、一層。
 結び目の重心を逸らして更に活路を見出すまでの都合、銃剣を切り交えあう。
 危険な眼差しだ──。
 その目には強靭な意志も誇りも宿ってはいない。ただ、渇いていた。
 予断ない殺陣が自ら死への行進曲を奏で、幾重にも織り成しあった末再度、今度は先程よりも膂力を上乗せしてせめぎ合いに持ち込む。
 鋭い衝撃が指先から伝播した。
 髑髏は何がおかしいのか笑い声を漏らし、僅かに開いた口腔から舌端を除かせ、ずるりと根元まで蚯蚓のように蠢かせる。
「フロイライン、貴女は悉く期待を裏切りません。この汚泥の底のような街で、待ち続けた甲斐があったというものです」
 蛇蠍に相応しい言葉と共に、ねっとりとした忌々しい殺意が全身に絡みつき、這いずり回る。それを裂いて剥がすように、冷淡な眼差しで睨み据えた。
「それは同様だ、髑髏。貴様が私の手の届く場を蠢いてくれていて助かった」
 果て、それはどういう?──と、彼は愉快そうに問う。
「貴様は永らえるべき者ではない。そういう事だよ」
 髑髏が笑う。誰に言われるまでもなく、そういう含みすら垣間見える。
 白い吐息が交わった。
「彼の長──スヴァローグと同じような煌めきをしていますね。迷いのない、頑健な意思の体現者として、貴女は美しいですよ」
 一人語りのように喋る髑髏に対し、ジェシカは到って酷薄に呼応した。
「そんな奴らが大勢いた事も、最早昔日の遺産となって誰も紡ごうとはしないだろうよ。ならばせめて、貴様のような異端だけは、刈り取らねばならない。それが責務だ、生き残った私達のな」
 僅かに膂力の優った髑髏の銃剣が、刀身を弾き上げる。髑髏はがら空きになった此方の胴体部に向け太刀筋を割り入れた。それを防ぐ為に絞った左腕が、視界の隅をくるくると舞った。
 正しく人外と形容できる応対攻撃で左腕を斬り払った髑髏は、厭らしく笑う。しかし、同様にジェシカも笑みを零していた。それを目の当たりにした髑髏に生まれた動揺が、致命的な間隙を生んだ。
 直前に分離し、右手に持ち替えた銃剣を髑髏の頚部に鋭く滑らせる。
 不意に満ちる行進曲の断幕。得物を下ろした髑髏が小さく、数歩下がった。
 懐から取り出した紙巻煙草を咥え、
「良い舞台、良い幕引き、でしたよ──?」
 首筋にしゅるりと走る朱線。やがて、ゆっくりと、髑髏が滑り落ちていった。
 幕引きの間際に、半ば割れた髑髏の隙間からのぞく素顔を見下ろし、ジェシカは忌憚なく酷薄する。
「良いも悪いもあってたまるものか。これは戦場でなければ、貴様の臨んだ舞台ですらない。幕引きすら必然、これは私達の誰が下ろしたものでもない──……」
 燻る紫煙が潰え、幻のように、溶けて消えた。
「我々の陽炎の下に帰れ、髑髏──」


                        Epilogue


 兇人髑髏=A即応介入部隊が殺害──。
 その大きな見出しが、文字通り紙面で踊っていた。あとに続く記事は、最早過去の人物となった凶悪犯罪者を何年も追い続けたOCPDと即応介入部隊の功績を諸手で讃えている。
 覆面話にしては、OCPDの広報担当と署長が上手く情報を操作したのだろう。髑髏が死んだ後、ジェシカがそのように顛末の書き換えを要望したためでもあった。
 一面を飾ってはいるが、その次の社会欄には既に今月の新たな金融犯罪に関する特集記事が組まれている。メディアの関心は早くも、次の問題へと向いているようだった。
 折りたたんだ日刊紙をテーブル上に置き、ジェシカはぬるくなった珈琲を啜った。待ち合わせていた知己が前の空席に現れ、ジェシカは「はい」と挨拶した。
 女将が涼やかな微笑みで応える。彼女が珈琲を注文したので、それに便乗してジェシカも珈琲の継ぎいれを頼んだ。
「一週間ぶりね。どう、腕の調子は?」
「おかげさまで。噂どおり、腕の良い装具屋だったよ」
 ジェシカは左腕を持ち上げ、手首を小気味良く動かしてみせた。
「それはなによりね」
 髑髏事件の直後、左義手を丸ごと失ったという話をどこからか聞きつけた女将が、電話越しに義肢装具屋の紹介をしてくれた。装具屋の老店主に聞いたところによると、OCPDに縁があったそうで、女将とはその当時からの知人の間柄らしかった。おかげで破損した義手の修繕費はタダ同然で済んだ。
 女将の視線が、手もとの日刊紙に向けられる。
「本当に、話題に欠かない毎日だな」
「この街の巡りは早いって言ったでしょ?」
 薄く笑い、肩を竦めてみせた。ウェイトレスの注いだ珈琲に口をつける。
「突然ね、貴女。今朝に電話が繋がらなかったら、二度と会えなかったかもしれないじゃない」
「かもしれないな。悪かったと思ってるよ?」
 仕事が終わって間もなく、ジェシカは海岸沿い北の都市へ向かうオーニソプターの搭乗券を購入していた。自分が去ることは誰にもいうつもりはなかった。しかし、当時に到ってジェシカは思いなおし、女将を市内空港に呼んだ。
「あら。ありがとう。でも、やっぱり行っちゃうのね。すこし、寂しくなるわ」
「煩い役立たずが一匹、いなくなると思えばそうでもないさ」
 ジェシカはくい、と頭をオープンテラスの外へ傾けた。市域空港の運営再開を祝うささやかなパレードが催されている。その中で、バルーンの配布スタッフに扮して日当仕事に奔走する相棒の姿がちら、と見えた。周囲に子どもらがたかり、相棒の体を引っ張っている。
 契約を終えたOCPDからは、支払われる筈だった当初の報酬をジェシカが自ら辞退した。
「これから、どこへ行くの?」
「さあ。適当な所まで行って、次の仕事でも見つけるだろうよ。北方のヴィエ市国が今ちょうど、需要が高まってるって話だし」 「そう。あんまり無茶しないようにね」
 自身にはない母性を強く感じさせる諭しに、ジェシカは居心地を悪くしながらも「わかってるよ」と応えた。施設内アナウンスが響き、オーニソプターの搭乗開始を告げた。
 珈琲を一気に呷り、ジェシカはテラスの席を立った。
「見送りにきてくれてありがとう。うれしいよ」
「ううん。相棒くんにもよろしくね。最後に訊いてもいいかしら」
 連れ立ってテラスを離れ、オーニソプターへ続くターミナルビルの前で女将が言った。 
「今回の髑髏、貴女をなにが、ああまでして突き動かさせたの?」
「それは、さっきの続きか?」
 半分は、と女将が補足する。
 ジェシカは少し考えた。回答に困ることではなかったが、言葉を選んで応えることにした。
「知ってるだろ。テスタメント≠ヘ、争いの中でしか生きられない。昔も、今も。争いの中で生き、そして死ぬように望まれている。私たちが、そう望んでるんだ。私たちは、それ以外で生きてはいけない。そうしようとしたとき、遅かれ早かれ、必ず災いを撒き散らす事になるから」
「経験と、それは誰かの言葉かしら?」
 半分は、とジェシカは補足した。それから、
「私たちを生んだ人の願いだよ。互いに寄り添い、生き残った私たちがその実践を継いだ。だから連邦がなくなっても構わなかった。私たちはずっと戦争を続けるし、誰かが彼女≠フ願いを傷つければ、私たちは全力でそれを潰す」
 それって、と言いかかったところで女将が自ら口を噤んだ。
「話したこと、あったかな」
「酔った時に一度、ね。そっか。なら、仕方ないわよね」
 ジェシカは指笛を鳴らした。甲高い音に気づいたジャッカルが慌ててバルーンを他のスタッフに押し付け、日当を貰って走ってくる。
「じゃあ。元気でな」
「ええ。貴女も。たまには、顔を見せにきてよね?」
「最大限努力する」
 上手い逃げ口上ね、と女将が笑った。ジェシカは彼女と淡く抱擁を交わした。
 彼女は、ヴィエ市国の故郷に眠る母なる人と、同じ香りをしていた。



 - TESTAMENT ! - End...




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