昇降機が中継階層に到着した時、先に撲滅した主力機兵らが陽動であったことを、じかに確認した。黒煙が局地的に滞留、前方視界を遮断している。到着直前の爆発音とトンネル内状況を吟味し、ベイが車両搭載の指向性地雷を敵機兵に浴びせたのだとロサは行きついた。状況は予測以上に逼迫しているが、しかし、今後はこちらの味方をしようとしている。そう解釈できた。
戦闘音響が途絶え、地響きと警報音、被害の免れたスプリンクラーの散水音が混在する傾斜トンネルの中、ロサは操縦把を操り、近接格闘用の高周波対物切削兵装を左上腕部に展開した。刺突性能特化の刀身に攻性周波数値を与え、それに触れた水滴が瞬く間に蒸発してゆく。
熱源透過した黒煙の中に敵機兵の機影を確保。奇襲被害により駆動系に強制制動が発動したのだ。しかし、目の前で駆動系を再起動させた敵機兵は駆動輪運動により黒煙を傾斜出口へ向け突出していった。それに呼応するように、機関銃類による掃射音がトンネル内を反響、いくつかの火線がロサの扱うジーヴィッカの側を駆け抜けた。
ベイが生存し、応戦している──。妙なものだな、とロサは勘ぐったが、すぐに納得し得る結論に行きついた。全周囲警戒装置を搭載する敵機兵が、黒煙を挟んだ後方脅威の闖入を感知できない筈はない。しかし、事実として相応の行動がなかったのは、ロサを度外視したからではなく、感知できなくされたからである。
ベイが狙ったのかどうかは判然としないが、敵機兵は先の地雷爆破によって外部搭載のセンサ群の大半を機能消失しているのだ。
好機を得た、とロサは確信、即座に意思判断し、攻撃態勢を取るジーヴィッカに最大機速を与え突進運動へ移行した。初撃に期待して切削兵装の攻性周波数値を限界値まで上昇、一挙に傾斜トンネルを駆けあがり煙幕を突破すると共に、敵機兵の後背へ肉薄した。
ロサには、明確な結末像が形成できていた。
突破と共に感知されていようと、その反応に関係なく、確実に敵陸戦機兵を沈黙させ得る一瞬。いくつかの幸運が重なりはしたが、奇襲のための条件はほぼ揃っていた。
敵主力機兵が一機の遊撃要員のために陽動攻撃を展開したように、ロサもまた、主力武装の三〇_外動力源式機関砲と対機跳躍地雷を搬送路に設置、それらの遠隔操作によって、合流の時期を偽装したのだ。
煙幕を突破した後の間隙、その僅かな認識時間では回避運動を意思判断するだけの余地もない。後背から突き下ろす刃先は容易く胸鎧部装甲を融解せしめ、なかの操縦士を殺害するだろう。
しかし、ロサは過小評価を避けていた。その動機には、同業の陸戦機兵に対する期待も介在していた。
そして、刃先が接触する刹那、ジーヴィッカのセンサーアイが破裂した閃光に満たされた。ロサは状況を察した。敵機兵が背後の驚異を察知すると共に、増設バーニヤの緊急噴射による回避運動を実行したのだ。
ジーヴィッカの突き下ろした刀身が地面を深くえぐる。分子結合の歪曲した地表から白煙があがった。
致命打を回避した敵陸戦機兵は転回すらせず、爆発的な加速度で傾斜トンネルを上昇してゆく。その果断に対し、ロサは敵陸戦機兵を柔軟に評価、遅れることなく追撃態勢へ移行する。その際、とベイと視線が交わった。
奇襲攻撃を強く予感していなければ不可能な回避運動であり、また、その後の迅速な離脱も、ロサの持つ武装が近接格闘系のみであることを知り得ていなければ、不可能な行動だった。
敵機兵は主力部隊が撲滅された瞬間から、自身への奇襲が間近に迫っているのを直感していた。それを知るだけの判断材料が限られていた事実を鑑みれば、敵機兵の乗り手が対多数戦を熟知し、よく技量を積んだ者であることは明らかである。
はて、そんな乗り手がどれほどいるものか、と、ロサはごく身近な過去を考えた。
──ベイ、怪我はないか
『──かすった程度だ。車両の再点検を済ませて移動する。外に出られれば、簡単には終われんだろう。ドラに援護させる』すまん、とロサ。気にするな、とベイ。
近接格闘戦闘のリスクを回避しようと思えば、攻撃手段の変更が最適である。敵機兵は撃破された主力部隊機兵からの武装回収を最優先とし、移動している。それを許容すれば、敵機兵を無力化することは単機では困難になる。
そう易々と達成されては、つまらんな──。
敵機兵が無防備な背中を曝している以上、追撃を緩める手はない。駆動輪の最大出力運動を維持し、ロサは傾斜トンネル出口へ向かう敵機を追う。
中枢制御基幹系にアクセスした戦術支援AIが、データベースから敵機兵情報を出力する。
(LCASS-16B、汎系半重量級か──)
目視可能な限りでも搭載装甲がLCASS-16Cより重厚だが、必然として移動性能のいくらかを犠牲にしているらしく、事実、ロサとの相対距離は急速に狭まりつつあった。
攻撃射程圏内へ侵入、ロサはジーヴィッカにバーニヤ噴射による突進推力を与え一挙に前方へ踏み込んだ。残存センサ群を頼りにした敵機の回避運動に合わせ射線修正、刺突攻撃を繰り出す。
近接戦闘教義に従うならば現状に於いて回避運動が最優先とされるが、しかし、それだけでは最早ロサの追撃をかわすことは難しい。ならば、複数の搭載センサ群を失い戦況把握能力に於いて劣る敵機兵が如何な応対行動に出るか、それは必然的に限定されることになる。
そして、敵機兵はロサの予測の範疇となる反撃運動に出た。
敵機兵の滑るような急速転回と共に戦斧がねじ込まれ、ジーヴィッカの右方に迫る。ロサは意思判断により本機突進体勢を下げてその横薙ぎをこともなく回避、その間隙を利用してさらに追刺突を試みようとしたが、敵機兵は逆転運動を最後まで完結しバーニヤ噴射による再離脱に入った。
行動にいっさいの淀みがなく、徹底している。頑なではなく、それが最適であることを確信している。出口は間近に迫っており、傾斜トンネル内での決着は望めそうになかった。
切削兵装の周波数値を継続維持、先に殲滅した主力部隊らの各機沈黙座標をポリゴンマップ上で確認する。損傷を免れた武装が残っているかどうかにもよるが、分岐軌道上直近の機兵の残骸は、傾斜トンネル出口から約八〇b圏内にある。
敵機兵の離脱に続き、ロサも地上へ展開した。炎が蛇蝎の如くうねる軌道上を平地移動した敵機兵は最寄りの友軍機の残骸へ急接近し、外装着格納機から落着した四〇_自動擲弾発射銃をさらった。その瞬間、ロサは突進態勢から回転運動へ移行し、擲弾銃を構えた敵機兵の間合い深くへ侵入する。複数種信管式であれば、自機への爆発被害を懸念して榴弾を起爆させるようなことは、まずない。実際、ジーヴィッカの近傍を逸れた榴弾は、敵機兵からの安全起爆距離に達していなかった為、そのまま後方へ消えていった。
回転運動による付加威力の加算した刀身を逆袈裟に繰り入れ、敵機兵の左腕肘関節を鋭く溶断した。
まだだ。追撃の手を緩めるな──。
ロサは継続し、冷徹に猛る。左腕をまるごと一本と武器を喪失した状態での近接戦闘の危険度は甚大である。それを悟った敵機兵が離脱を試みるまでに、一撃を与える猶予はあると踏んでいた。
更なる回転運動から脚部の切断を狙った瞬間、その追撃を感知した敵機兵は踏みとどまり、右腕に残された戦斧を振るった。
警告音がコクピット内を反響、副視界に機体の損害報告が出力される。右腕が肩関節部から粉砕欠損していた。全周囲警戒装置の恩恵でロサは、本来コクピットを狙った重厚の一撃を回避することができた。
彼女の灼熱する意思が、表情を凄惨に歪ませる。後退に勝機はなく、転進を図る敵機兵に密着し、ロサはジーヴィッカを火の海のなかへ突入させた。
搭載センサ群が各外殻装甲の低度焦熱損害を報告、しかし、戦闘行動への支障はないと判断し、ロサは追撃運動を継続する。火中を突破した直後、先んじて地形を利用した敵機兵がジーヴィッカの攻撃可能圏から急速離脱した。
(目をつぶされたな──)
しかたなく態勢の再建をはかるため、ロサも各種搭載センサ群からの地形環境情報をもとに、適切な地点へ移動、距離を保った。
眼球運動追随装置直結のセンサーアイを動かし、確保視界に敵機兵の全貌を捉える。地盤の穿孔から半ば落下した廃列車の残骸上に佇立していた。
延焼炎を纏う機影は毒々しい紅色に彩られ、羅刹のようですらある。
ロサはその姿を凝視し、目を細めた。敵機兵から通信要請が向けられる。特定周波数を用いた部隊間交信であった。
ロサは浅くまぶたを下ろした。通信要請に対し回答を出すまで、敵機兵が攻撃を仕掛けてくることはない。その程度の確信が彼女にはあった。
多くの戦場を共に永らえた、彼女の過去に根差す幻影が、目の前に立っているのだ。
これまでの戦闘の一連で、ロサは敵機兵の卓越した技量に対し注目していた。戦端を切った始めでこそ、単なる疑念や予感でしかなかったが、ようやく、ロサはそれを確信の域に到達させることができた。
友軍にゆかりのある乗り手だということは、最初からわかりきっていた。そして、その洗練した用兵や単機での戦闘技術の巧緻さは、ロサの経歴に共通する点があった。
私たちの過去は、ほかに生きていた。
ロサはウイルス二次感染への対抗態勢を取った上で口頭指示し、通信体制を確立した。
『──所属を名乗れ』
先ず届けられた言葉は、身元秘匿の為の合成音声ですらなかった。もはや、その要もない、そういう意図が込められていると解釈した。即ち、敵機兵もまた、なにかしら感づいているといえた。ロサは色褪せた過去のなかから、あてはまる記憶を掘りだす。
「──少なくとも」と、ロサ。「最早、私にはありはしないが?」
聞こえこそしなかったが、なんとなく、相手が苦笑した気がした。
『──我々のことは、互いがよく知っている。時を経ても、乾いた汚泥と焼けた血の臭いが鼻をつくぞ──アロンドラの射手。ここまで徹底的にやってくれたのだ。記憶から零れた、などということはあるまい』
ロサはく、と笑ったあと、表情を冷酷に務めた。彼女にとって、懐かしいばかりの古い名が発せられたからだ。
レディッシュ・スカッドに勤めていた頃、畏敬や侮蔑、様々な意味をこめて呼ばれていたそれは、彼女に強く過去をしのばせる。
ロサは応えた。
「──時を経ても、変わらないものだな。冷酷の影が喜々と踊っているぞ、イヤード……」
アフリカ資源危機以降、数え切れない介入紛争のなかで苦楽を共にした古巣である第三強襲作戦空挺分遣隊の誰であるかまでは分からなかった。しかし、声を耳にして、イヤード・マラク・ムザファルという男だと判明しても、ロサは思っていたほど、強い感慨は湧いてこなかった。
『──ファースト・スカーレット作戦以来になるのだな。一年半にもなったというのか』
「敢えて、そう言うこともないだろう。あの場にいた誰にとっても、OFSは褪せ始めてすらいない。」と、ロサ。当時を追憶してみれば、イヤードなる人物とは互いに率いる分隊をめぐって反目していた。いま、こうして敵対している事実を鑑みれば、最早たがいに態度を装う義理すら不要であった。
『──多くの同胞が死んだな。ここまで永らえていたとはな、互いに』
はて、妙な言い回しなものだ、とロサは勘ぐった。
「──驚くことでもないだろう。確かに、私たちは多くを失った。だが、あの作戦のあと戦い続けたものもいた。お前や、私のように。いまさら、誰がいたとして不思議はないさ」
NA.MASCU筆頭のソリッド・スラスト社に奪われた資源市場利権を奪回するため立案されたファースト・スカーレット作戦、その初動戦力として投入されたレディッシュ・スカッドの精鋭九三人は、作戦の過程であらゆる辛酸を味わった。
予感こそすれど、最終的には誰も予測し得なかった結末だった。
情報インフラの破壊と共に分断されたデータリンクネットワークは機能を失い、それに全てを依存していた戦場はあらゆる統制力を手放した。全九三機から編成されたレディッシュ・スカッドの実力部隊は反攻作戦のなかで、友軍の落下傘大隊をそれと気づかず、結果として四〇〇名を虐殺した。
そのことを薄く思い出し、ロサは苦く笑う。なんの痕跡も残さなかった名もなき勢力の介入によって、踊らされた結末であることに疑いはない。しかし、そのあまりに劇的で、あまりに陰惨なものとなった結末は、当時その作戦に加担した者の口を石のように堅く閉ざさせる。追憶することですら、深くさいなまれるのだ。ロサもそうであった。
「──全く、我々はいつも手遅れだ。お前に釈明の用意があるのなら、一応聞くが」は、とイヤードが短く、高く笑った。
『──新たな戦闘教則に従ったに過ぎない。リナ、我々はこの戦場でついに、自由を得たのだぞ……』
ああ。そうか、とロサは行き着いた。イヤードは感染疾患によって錯乱したのでなければ、友軍との交戦を覚悟していた訳でもない。
「──お前は、レディッシュ・スカッド拠点地域を棄てたというのだな。時の不運を古巣に押しつけて、逃げたというわけだ。気楽なものだな──」
『──迂闊に気をつけるがいい』と、イヤード。『我々が瓦解したことがか? 貴様のいうその不運ですら、最終的にはホワイトカラーの連中が利を得たものに過ぎないのだぞ。所詮、我々の生き方が割の食わせ合いだというのなら、今度は我々がそれを担うのは道理だろう』
「──報復に走るつもりか、イヤード。その新鋭機を携えて、どこに合流するつもりだ?」
最新の一六世代規格をイヤードが運用しているということは、FS作戦ののち、一旦はレディッシュ・スカッド或いは、ハンズ傘下系列の企業に生還したことに直結している。機種変更訓練を十分に経たと過程して彼が離反したのだとすれば、それは周到に行われた筈である。先のない可能性に投資するほど、イヤードは愚物ではない。
やや間を置いたが、イヤードは応えなかった。ロサ自身も期待はしていなかったが、自らに新しく課した役目に従い、それを彼に伝えた。
「──では、私は軍務を全うせねばならんな。お前をここで止めれば、少なくとも我々の名をこれ以上汚さずにすむという訳だ。お前のことだ、後悔はないだろう。既に何度もそうしてきたかもしれんがな」
確証はないが、一連の交戦の円滑さを考えると、イヤードが離反したのはどうやら昨日今日のことではない。と、ロサはそんな気がしていた。
『──ロサ。貴様は何故、ハンズに執着する』今度はロサが笑う番だった。
「過ぎた言葉だな。別に執着してはいないさ。お前が報復に走り続けるのなら、それも構わん。私がお前をここで討つことに、ハンズなども関係ない。ただ、手段を違えたのだ。ハンズに歯向かうのなら、それは見過ごせん……」
直接の応答は避けたが、熟達らしく、イヤードはロサへの追求を避けた。
『──それが、貴様の分水嶺ということか』
「──私はお前のような狂犬でなければ、清廉の忠誠を持ってもいない。だが、己以外のものの為に、この身を燃やす理由のひとつくらいはあるものだ」
それは語るに及ばない理念であるに過ぎない。誰が他者との間でやりとりをしようと、今、この戦役のなかではむなしさを木霊させるだけに過ぎないのだ。
ここが終着点だな、ロサは見切りをつけた。
「互いに時間もないようだ。イヤード、欲がちらついているぞ。今この時、弔いに賭けたとしても、誰も咎めやしない──私たち機兵の自由を、見せてみろ」
一年半前、FS作戦を境になにもかもを失った。それでも、ロサは、己が求めていたものがまだ、現存していることを彼との交戦を経て実感できた。機兵として戦場を跋扈し、逃れられないと悟った時から、戦場と共に生き、傷つき、そして戦火に焼かれて終えていくのだと。
『自由、か──。やや不本意なものだが、いいだろう。互いに、幸運を』
通信体制が解除され、双方戦闘態勢を展開した瞬間だった。はるか遠方から一筋の火線が走り、イヤードの立つ残骸直下の地盤亀裂に直撃、小爆発を起こした。地盤が一挙に崩落、ジーヴィッカは身を任せて地下搬送路へ向け、宙に舞った。
無線連絡が入り、発信主のドラがひと言だけ報告する。『──あとはご自由に』彼女らしかぬ言葉と気遣いに、ロサはくすりと笑った。
自然落下の最中に各種搭載センサ群が戦域環境情報を収集、炎の残滓があたりをちらつくなか、落下高度に合わせて自動制御でバーニヤ噴射を行う。ほぼ同時に、敵機兵の搬送路上への降下着陸音が反響、音響情報でイヤードの展開位置を確定すると共にロサは一切の逡巡なく、間断なく、目標にむけ突進運動に移った。搬送路に設置した主武装の三〇_機関砲までは距離が離れ過ぎている。
炎の降り落ちた地下搬送路のなかを瓦礫の陰から突出した。直後、同じく突進運動を選び相対距離一五b正面に現れた敵機兵の姿に目を見はったが、ロサは攻撃を続行した。
至近直接攻撃に伴う緊急制動の際に微弱な軌道修正を行ない、ロサは水平に構えた切削兵装で敵機兵の胸鎧部装甲正面を貫いた。全く同時に、ジーヴィッカの右肩部へ戦斧がうち下ろされ、しかし、その攻撃はコクピットへ侵入する直前に停止した。
唐突に吹き込む静けさ。ロサは深く、ゆっくり、淀みなく、敵コクピット内に十分な効果を与えてから、切削兵装の刀身を引き抜いた。敵機兵の胸鎧部装甲からぶすぶすと煙があがり、運用限界を超過したらしい機体が確保視界のなかで、うつむき加減に膝を折った。
攻撃を受けたジーヴィッカの刀創部からも煙があがっていたが、敵陸戦機兵の停止と共に戦斧も機能を喪失したらしく、それ以上の損傷が搭載センサ群から報告されることはない。
闇の静寂のなか、ロサはイヤードというかつての英傑の死を確信した。
「……ベイ、こちらロサ。敵陸戦機兵を無力化した」『───沈黙総数確認。よくやったな』ベイの労いの言葉に、ロサは表情を変えることなく笑った。「──おかしいものだな。この結末も、お前の予定調和のうちだった筈だろう」ベイが短く苦笑した。
「──情報の抽出を試行する。時間はあるか?」『──市街近傍に、脅威は検出していない。問題ないが、施設の爆砕後は速やかに撤収する。急げ』了解、とロサ。
ロサはジーヴィッカの出力稼働率を戦闘待機態勢へ下げ、ウェアラブル端末を持って機体から下りた。炎の残滓がちらつく足元に注意しながら、すぐ目の前に沈黙する機兵の残骸に取りつく。外部独立端末の組成配列を解析し、コクピットを開放、警戒を兼ねて内部へ五〇口径自動拳銃を向けた。
「……穏やかなものだな」
コクピットの中で沈黙のままに項垂れるイヤードの亡骸にむけ、ロサは呟いた。切削兵装の先端を受けたらしい身体は、左腰から先が焼き斬れていた。出血はないが、血の焦げた臭気が内部に充満している。
ロサはイヤードの襟元を掴んで引きずりあげた。亡骸が厭な音をたてて千切れたが、構わず残った上半身を路上へ放り落とした。上半身、厳密には頭部電脳化部分の電脳素子機能が残留していれば、ロサの試みを実行することは可能であったためだ。
ウェアラブル端末のコードをイヤードの頸部入出力ポートへ直結、自身のポートと端末を介して間接接続し、電脳外部記録野への介入接続を試みる。外部記録野は後天移植素子による増設機能であり、移植者が死亡したとしてもその肉体が過度に腐敗、或いは損壊していなければ、機械的な手法を用いて情報を抽出することは可能とされている。
外科手段による移植素子の摘出が最善だが、必要器具が不足している以上、多少危険な方法に頼らざるを得ない。
ロサは、イヤードの死体から、彼に関わるあらゆる事実関係を含む戦役の情報を欲していた。北アフリカ地域へ進入し、コスタバレナへの合流を目指してNA.MASCUの影響領土圏内深くへ入り込むほどに、その実現の困難さが増してゆくことは明白であったからだ。
想像を飛躍させた代物でしかないが、仮にイヤードがNA.MASCUに関与していたのなら、いま、出来る限りの処置をしておく必要があった。
素子防衛プログラムによる妨害もなく、電脳外部記録野の基幹部へ到達した瞬間、自らの聴覚野へ直接届いた音声を聞き、ロサはイヤードの命の尽きた双眸を覗きこんだ。
『──新世界秩序の敵、か。俺ごときでは、合流など期すべくもなかったということらしい』
ロサに特段驚きはなかった。電脳外部記録野へ外部接続してくる者がいた場合、自動再生するよう事前にプログラムされていた記録音声である。
『──どう解釈するかは自由だが、啓示と思うがいい。我々が、この分断された戦場で戦い続けることの代償は、これから益々肥大化していく。お前がいつまで、その動機と誇りを背負っていられるか、ベレンガリア(=名誉共同霊園)で見物していてやろう』
記録音声の再生は、そこで終わった。継続し情報抽出を再開しようとした時、ウェアラブル端末画面に緊急警告メッセージが表示され、ロサはポートに接続していたコードを引き抜いた。イヤードの入出力ポートからぶすぶすと煙が上がった。
「脳を焼いたのか。念入りだな、最後までお前は……」望まず敵の手に落ちたものが選択し得る、最後の対抗手段をイヤードは自らの電脳に組み込んでいたのだ。自らに関与する作戦情報の外部流出を防ぐため、死後電脳に過電流を発生させて完全に素子回路を焼却してしまったのだ。外部接続のいずれかの段階で、充分起こりえることだとロサは当初より確信していた。ひとつだけ、ロサは彼の言葉に応えた。
「出来の悪い冗談だ。お前は、我々の矜持を穢したのだ。お前の末路は、我々の安息の地ではない……」
イヤードの死体を残し、ロサは立ちあがると地盤穿孔から夜空を望んだ。暗雲は重く、暗く、今にも落下してきそうであった。それを地上に揺らぐ戦禍の残り火が紅く染め上げている。
「遠い空だ──」静かにつぶやき、それからロサはベイへ無線を飛ばした。「──カウンタープログラムが発動した。電脳回路焼却だ」『──その程度のことならば、仕方あるまい』と、ベイ。
「──なあ、ベイ」と、ロサ。どうした、とベイ。「──もう、この世界に友軍のあても何もないとして、例えば、この世界の終わりに、あんたはどうする?」間をおいて、ベイはおそらく、慎重に言葉を選びながら応えた。
『難しい問題だな。だが、そうだな……やはり、なにも変わらないだろう。生きて、過去を証明するために、戦ってゆくことだろうな』
ゆっくりとしていたが、一切淀みのない答えだった。ロサは静かに頷き、そうか、とだけ答えた。
「──早期合流地点へ向かう。支援は不要だな?」
『──大丈夫だ。全員の安全圏離脱を確認後、地下保管庫を爆砕、都市から離脱する』
ロサはジーヴィッカへ再び搭乗、予め定められた早期合流地点へ向かうべく、搬送路を使用する経路を検索確定すると共に、駆動輪走行へ移行した。
「超過紛争複合体──、同じだな、過去も、これからも……」
OVER WAR-TORN COMPLEX FIAT EU STITA ET PIRIAT MUNDUS.
END
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